芸術作品、感覚の制約と芸術としての完成度①

この前、ちょっといきさつがあって知り合いになった渋谷松涛のギャラリー「アツコバルー」。直近で出されているコンテンツをみに行った。「宇宙」をコンセプトに、様々な分野から人が出し物を代わる代わるやるようなイベントである。音楽家の方と南極基地の研究者の人と建築デザイナーの出身の方のトークイベントに合わせて訪問してみた。コンテンツについてはほぼ完全に専門外だったのでコメントは特にないのだが、それでも、音楽家のかたの話にはちょっと考えるところがあったので以下に書いてみる。

音楽家の人は作曲を主にやっており、もっと大きい組曲も作ってみたいらしいのだが、作成した曲に関してのエピソードなどを話していた。作曲、というよりは作品になるのだろうが、それはサラウンドとして作成しているという。この辺は研究室の仲間のしている仕事と似ている。研究室の仲間は作曲家の経歴を持っているのだが、作品はサラウンド作品として作成しているのである。サラウンドというアイディア自体は割りと古くからあるものの、作品を作って行く手法はあまり明確に確立していないのではないかと思われる(自分は専門外なのであまり詳しいことは判らないのだが)。機材がなかなかないこと、フォーマットが未だに流動していること、実際の作り込みに関して議論してゆけるほどには作品例がないこと、が原因であろう(この辺のところは要調査だが)。

サラウンドはアナログ時代からフォーマットが現れては消えを繰り返している。初期の頃に現れたマトリックス方式(4ch)とパソコンを使用したゲームが隆盛 を極めた頃の5.1ch辺りが最も広く知られている方式なのではないか?家庭用AVアンプはもっと多チャンネルのものとして設計されているが、5.1ch ほどの広がりを見せているようには思えない。

音作りは現在においては2chステレ オにばかりノウハウのある状態である。サラウンドは映画効果音やゲームのための音響としてはそれなりに作られてはいるが、純粋な音楽、芸術としての録音の ための作品としては完成をしていないと思われる。ちなみに多チャンネルサラウンドは録音の時点から多チャンネルで録音を作成してしまう方法と、2chステ レオを再生時に何らかのアルゴリズムを使用してチャンネルにする方法がある。アルゴリズムとしてはTHX, dolby等の方法が有名だと思う(要調査)。前者は録音、ミックスが完全に確立していないこと、後者はピュアオーディオのための再生装置としては fidelity(=忠誠度)が不足しているように思われることが不満点だと思う。

オーディオはこれまで2chをモデルに発展してきた。戦前はモノラルのオーディオが一般的で、その後ステレオの音響が一般的になった。だが 一般的な感覚は多チャンネル方式が様々に提案された現在でも、ステレオありき、に留まっている。これはfidelityは低いという方向性である。そして たいした疑いも持たずに、低いフォーマットを設定したまま、その中でせっせと作品作りをしているかのようにも思える。

なお、サラウンドに近い印象で、もっとも完成した音楽体験ができる場はコンサートホールであるように思う。コンサートホールは明確に建造物である。建築あるいは空間があってはじめて、作曲者・演奏者による音楽作品自体と、音響場としての空間とが一 体化したとき、音楽体験が生まれる。だがサラウンド的な完成度が加算され芸術体験として完成する事はあまり意識されない。空間はあくまでも雰囲気であり、空気である。これを計算・設計したり、チューニングしたりすることは縁の下であり、意識されるのは舞台の上の音楽作品だけである。

そう考えるとサラウンドとしてのコンテンツを作成することは、音楽作品を作り出す事ではなく、それを体験する縁の下の部分、雰囲気とか空間とかをも含めて再現しようとすることである、とも言える。つまりサラウンドを取り扱うことはバーチャルリアリティの領域に入ってくるのかもしれない。

だがよくよく考えると、低fidelityなフォーマットで止まっていることは、そうおかしいことではないのかもしれない。劇場は舞台があって、観客はそれ を注視して観劇をする。ここには製作側と鑑賞者という2つのポジションがあり、鑑賞者の向く方向は一方向である。先ほど例にあげた音楽作品を鑑賞する建造物、コンサートホールにも明確に演奏者側と、観客席が存在し、鑑賞者の向く方向は一方向である。またPAを使用するコンサートの音響装置 も基本はステレオであり、追加されてもサテライトとして使用されるというものだ。これは完全な演じ手と客(悪く言えば傍観者)が別れているために、音響は 一方向で良いのだという帰決に起因しているようにも思う。

人間は架空のものは架空のままにして置きたいのかもしれない。架空というスタイルを守ってこそ、作品であり、芸術である、ということを前提にしたいのかもしれない。そのためにあ えてfidelityの低いフォーマットの中で作品作りをしているのかもしれない。現実感とほとんど同じ次元の仮想現実感が実現したとき、人間はそれをもはや架空の作品だとは思わないかもしれない。人間が創作物である作品に正常にのめり込むためには、低fidelityなフォーマットが必要なのかもしれない。

芸術作品というものは、完全に作り込むという点と、架空のものとして楽しむという点の二面を持つように思う。高fidelityな再現環境では鑑賞者は制作者から逃れられない。従来の作品とバーチャルリアリティの垣根は案外と高いものなのかもしれぬ。

芸術作品、感覚の制約と芸術としての完成度②

(続き。前回サラウンドとfidelity、芸術作品への感覚の制約と芸術としての完成度、への考察に引き続いて。)

自分の研究とも関係しているのだが、香りの情報化技術と香りの再生装置を使用して、バーチャルリアリティ演出に匂い演出を実用化できないかという研究がある。今まで見てきた考察を踏まえると、香りの世界でもリアリティへのfidelityが高まりすぎると、芸術作品への受容傾向が生理的にシャットアウトされてしまいかねない状況が考えられる。

例えば臭すぎる香り、普段生花店で嗅いでいるような、リアルでフレッシュな花の香り、煙の香り、それらのものが漂ってきたら、それを現実のものだと感じてし まうであろう。それは観客がそれを作品として、ある種の創作物であり、架空のものであり、現実の自分とは異なる世界を覗き見しているのだという感覚をもっ て、それを味わうという姿勢を壊してしまうに違いないと思われる。

先ほど総合的な完成度を持って音楽あるいはサラウンド体験ができる古典的な場として劇場を挙げたが、純粋芸術としての枠をはずせば教会やモスクのような宗教施設もそのような場となりうるように思う。こちらも建造物である。宗教体験は非日常的な体験であるが、体験が架空の世界の上で起こっているものである、という前提があっては、宗教体験とは言えないであろう。同様な事がゲーム作品にも言えそうである。ゲーム作品では、プレイヤーは制作者の世界に没入感をもってアクティヴに製作物を鑑賞する。低fidelityな環境、没入感を得られないデバイスは、ゲーム作品をプレイヤーに提示するには役者不足であろう。

バーチャルリアリティを作り出すこと即新しい芸術のステージを作り出すこととは言えなさそうである。

作品、特に芸術作品は架空の世界の上に立脚したものである、という前提がなくては、人間は安心してその世界に入っていくことは出来ないのであろうと思われる。そのために は、そのとき感じている感覚が創作物に由来するものであって、現実の世界とは異なるものなんだという安心感が必要であろう。

そのためには音楽や観劇の世界では、低fidelityな再生環境や舞台装置のような、架空の物語の世界から現実へと引き戻すことが可能な作品フォーマット が必要だったと思われる。同時に作品のフォーマットが歴史的に脈々と受け継がれるものであるからこそ、人はそのフォーマットに慣れ、経験を積み慣れているから 容易に、架空の世界に任意に入り込む事ができると同時に作品を鑑賞し終わる・作品を拒絶しようとする場合には、その世界をシャットダウンして現実の世界に容易に戻ってこれる。

オーディオの世界でもあまりにもfidelityの高い機材では音楽鑑賞の感覚が合わないことがある。ある程度劣化する再生環境が必要なのである。この劣化の起こし方に様々な嗜好があり、オーディオが聴いてみるまで好みが分からな い理由があるようだ。またその歪み方自体に芸術性が宿るようにも思う。

先ほど述べたように、香りをバーチャルリアリティとして再現しようとすると、バーチャルリアリティの精度が上がりすぎる可能性もある。もちろんそのような技術が必要になる場面がやってくるが、それはアート作品の技術土台として構築される訳ではないと予想される。バーチャルリアリティの精度が上がると、没入感は更に増すと思われる。ただしそれに相関して芸術のフォーマットとしての完成度が向上するわけではないように思われるのである。

ステレオ録音作品は低fidelityであった。それと同じように、このような作品のフォーマットが香りのアートにも必要であろうと思われる。作品として洗練することが可能なレベルであり、なおかつ高fidelity過ぎない香りの演出のフォーマットをどのように作ればよいのか?

現在のところ、結論めいたモノは出てはいないが、ひとつのキーワードはフレグランスなのではないかと考えられる。フレグランスは人工の造形物であることが確立しており、嗅いでみるだけでそれが人造物であることがわかる。フレーバーは現実の世界をどれ程忠実に再現できるかという観点が常に付きまとっている。フ レーバーもしくはリアルな香りを用いて演出をするのではなく、フレグランス史にしたがったフレグランスをシーンに配することにより、演出をしてはどうだろ うかと考えている。先程も述べたようにリアリィティに対するfidelityが低いフォーマットの方が安心感をもって創作物と受け入れられるのではないかと考えている。

(その意味では香りの要素系への分解は必ずしも必要ではないのかもしれない、設定する香りのコンポーネントとはパレットの上に並べる絵の具のようなものになるのかもしれない。この辺はまだ未考察だが)

(余計なボヤキ)自分の業績を作るというよりは、目の前の研究を作ろう

自分の味方がほしい、今思っているひとつだ。財力でも品の良さとかでも学歴とかでもない、自分の感覚に近いなかま。もう一つは自分自身の飛び出して行く力だ、と思う。仕事上の関係ががんじがらめだと色々と無理も来る。意外にそんな仲間が見つからず苦労もする。

研究室の検討を、きちんと学会報告の形まで持っていく、次に学会報告以外の部分、本質的な研究課題をこなさなくてはいけない、これにたいしてはバイオ系の 人々もしくは情報系の人々を捕まえて自分の結果にならなくてもよいから、きちんと研究をかたちにしてゆく。

最初から考えていて、今も重要な真理だと思っていることに、「自分の研究能力なぞ大して大きいものではない、本研究は自分が為さずとも、他の人々がいずれ為す。ただ自分の指向性は研究であって、技術の開発だ。そして、この研究のための材料も今の自分には揃っている。だから自分の業績を作るというよりは、目の前の研究を作ろう。それだけのために研究を継続しているのだから」

(研究テーマ) 生体における香りのコーディングを解析し、香りの近似技術を確立する 3/3

『要素臭(の開発)』というテーマを当初立ち上げていた。考えていることが大きく変わったわけではないのだが、より同業者にとって正確に自分の研究 内容が伝わるような表現、『生体における香りのコーディングを解析し、香りの近似技術を確立する』と言う言葉、で研究を推進したいと思っており、そちらを なるべく使用するようにする。

マイニング系で嗅覚のコーディングを解析できないかと考えている。そのことを説明してみる。

データの解析から受容系ファミリーの挙動を一貫してプレディクトできないか

(香気に対する受容体群の挙動について)ブラックボックスを抱えたままながら、情報を集積することによって、マイニングのようにコーディングの偏りは解明でき るのではないか、と考えている。純粋な理論だった化学とは異なる方向からアプローチする事を考えているのである。当初は理学的なビルドアップによるアプ ローチから要素臭が抽出できると考えていた。だが香気受容体の生成メカニズムも完全解明されているわけではない。動物種による差異やコーディングの偏りと いう物がありそうな気がしている。だが、神経生物学の収集した香気応答データや遺伝子工学の集めたGPCR挙動データが有用なのではないかとも考えるし、 量子化学計算の結果をマイニングの指標として利用する事も可能だろうと思う。もちろんマイニング材料は様々なところから用意することが可能であるはずだ。

(バイオインフォマティックス的手法を応用して受容体タンパク質の特徴を抽出する)
遺伝子データライブラリを利用するバイオインフォマティックス / ゲノミクスによる嗅覚受容体のマイニング研究はおもしろそうだな、と思っている。今回文献紹介ではそのような文献が見つかったので、それを紹介する。リ ファレンスをきちんと読み込むことで、以下の研究題材に関してもレビュー化したいと考えている。

  • GPCR / IRのような一連の類似構造を持つたんぱく質群に対してマイニングを掛けたり、情報抽出したりしようとした研究例、その抽出情報と現実のたんぱく質機能はどれほどの相関性があったのか?
  • たんぱく質情報にマイニングを掛けるという研究は具体的にはどのようなプロセスを経るのか、その手法の検討事例
  • 嗅覚情報についての統計解析(たんぱく質構造類似度指標~実際の香気コーディングにどれほどの相関性が見出されているのか)

香りの受容メカニズムにおいて、嗅覚細胞上の嗅覚受容タンパク質(哺乳類の場合はGPCR)は動物種によって異なるが、10-1000種類くらい存在して いる。それに対して香気分子種は10000種以上(要出典)といわれている。このたんぱく質の香気物質に対する選択性は、ある程度の選択性を持っているも のの、フェロモン~フェロモン受容タンパク質ほどの鋭敏な選択性を示すわけではない。これはホストゲスト科学でもよく見られる傾向で、低分子量の化合物・ 水素結合部位の少ない化合物においては、選択性の低い包接挙動しか観測できなかったりする。香気分子は低揮発性でかつ疎水性であるので当然選択性は低くて しかるべきであろう。だがそれでも、嗅覚受容細胞は応答し、信号を発し、複数の経路から得られた信号アレイは脳内で処理され、香気の認識・知覚となる。こ のような実際の生物の挙動を解釈する際に、香りの科学をやってゆく上で、このホストゲスト科学を意識することは解釈に近づく一歩になるのではないか、と考 えている。

塩基配列などの生体情報から、何らかの結論をマイニ ングして来るような、バイオインフォマティクスのようなことが出来ないかと考えている。それは化学インフォマティックスのような名前であろうと思 う。そしてこれらの技術基礎は従来より行われてきた古典的な化学情報学の手法に立脚するものの、為そうとしていることは情報の整理・統合環境づくりという よりは、その集積からのマイニングになる。これまで化学情報学においてマイニングという言葉が出てきたことはほとんどなかった。しかしながら、このマイニ ングという観点からソフトウェア上に研究を組み立てられないか、と考えている。

このマイニング系で嗅覚のコーディングを解析できないかと考えている。化学情報学的な表記方法で香気分子の構造やタンパク質の情報を記述して評価する。今 回この方法が使えるかもしれないと考えたのは、嗅覚受容タンパク質の構造が一連のファミリーになっていて、受容後の細胞内メカニズムの類似性も期待できた からである。

なおこのマイニング系の有用性が確認されれば、製薬におけるフラグメント~生体活性などもある程度の情報の蓄積から判断できるようになるのではないだろう か?製薬における薬理受容体はGPCR群であり、薬理フラグメントとGPCR系タンパクの構造の相互作用係数の相関が明確になれば、ターゲットGPCRか ら薬理活性な分子デザインへと繋げていけるかもしれない。もちろんマイニング材料に量子化学計算の結果や分子動力学法による結果も含めることで、より高い 精度のマイニングが可能になって行くとも思われる。

(続くかも)

ref.
1. aromaphilia: 自分の研究、自分の役割
2. aromaphilia: 香気の受容系におけるコーディング、とは?
3. aromaphilia: 現状の研究興味 (研究室外のテーマ)

(研究テーマ) 生体における香りのコーディングを解析し、香りの近似技術を確立する 2/3

『要素臭(の開発)』というテーマを当初立ち上げていた。考えていることが大きく変わったわけではないのだが、より同業者にとって正確に自分の研究 内容が伝わるような表現、『生体における香りのコーディングを解析し、香りの近似技術を確立する』と言う言葉、で研究を推進したいと思っており、そちらを なるべく使用するようにする。ホストゲスト科学を考慮した生体の嗅覚受容に関しての知見を述べる。
生体の嗅覚知覚の仕組み

香気物質は揮発性の有機化合物である。通常の香気は単一の香気物質によって構成されているわけではなく、混合物としての化学刺激を生体は受容している。混合 物は複数種類の香り受容体によって受容され、複合的なセンシング情報が脳に送られ、パターンマッチングのような香り認知が起こっていると考えられる。(さ らに言うと単一の香気物質であっても香り受容体はそこまでシャープな高選択性を持たないし、重複して同一種の香気物質に対して複数の受容体が神経応答を発 す る、脳内には結局複合的なセンシング情報が送られる) ホストゲスト科学の観点からも、ゲスト分子構造と照らし合わせ、この様な挙動になるであろう事は想像できる。

嗅覚の形成を分子生物学的に、例えば哺乳類について見てみると、生物には無数の遺伝子情報を持っており、その中にはGPCR系のたんぱく質の遺伝子があ る。この遺伝子のうちいくつかは休眠遺伝子であり発現しない。またいくつかのGPCRは嗅覚以外の場面で発現する(例えば鋤鼻器でのフェロモンレセプター としてや精子にもGPCRが発現し、卵子に向かって動くときの方向づけに役立ったりする)。そして一部のGPCRは一般臭の受容蛋白質の構造情報となって いる。遺伝子はRNAに転写され、転写されたRNAから受容タンパク質が合成される。合成されたたんぱく質は実際に作用する高次構造を持っていないポリペ プチドと考えられる。このポリペプチドは(おそらく数段階の)後修飾を受け、細胞膜に埋め込まれ、嗅覚受容タンパクとして機能することになる。この様な嗅 覚受容タンパクについての遺伝子は生物種によって種類が異なる。マウスの場合は1000種類ほど(要検証)、人の場合では300種類ほどという研究結果が出ている。以上が嗅覚の分子生物学的な説明である。

嗅覚を神経科学的に見てみると、嗅覚受容タンパクの種類数はマウスの場合は1000種類ほど(要検証)、人の場合では300種類ほどという研究結果が出て いる。一つの嗅覚受容細胞(=神経細胞)あたり単一種類の嗅覚受容タンパクが発現する。一般臭に対する嗅覚受容体は鼻の奥の嗅球に発現すると考えられ、こ こに複数とおりの嗅覚受容細胞が無数に発現、それらは神経軸索が伸び、相互作用しながら嗅球として機能する。無数の神経細胞からなる嗅球からは無数の神経 軸索が脳にのびていて、この様に嗅覚情報は同時並行して伝達される神経信号として脳に転送されている(この説明は大雑把過ぎるのでもっと詳しい話をリンク する)。それぞれの嗅覚受容細胞でのGPCRの働きは、匂い分子の受容、それに伴い細胞膜内にGTPをリリースし、その後数段階の反応を経てイオンチャン ネルのオープン、電位の変化が神経信号として働く(この説明は大雑把過ぎるのでもっと詳しい話をリンクする)。嗅覚受容細胞の挙動を観測した結果、フェロ モンのような基質特異的な応答ではなく、ブロードな応答を示す。

再び、ホストゲスト科学の観点から、嗅覚受容細胞のブロードな応答について考えると、ゲストの包摂挙動において、複数の水素結合のような認識部位が必要となる。 加えてエステルや脂肪族化合物はゲスト分子として構造がリジットではないので、そもそも高い選択性は発現しにくい系である。このための複数の嗅覚受容体に よって認識された結果を総合的に解析することで、匂いの質を脳で理解することを可能としているのだろうと思われる。これは生物進化の結果であり、(ここか ら先は自分の独断なのであるが)特殊な認識可能・高い選択性が実現可能な潜在性のある分子がフェロモン候補物質として機能するようになったのではないか、 と考えられるのである(具体的には、セスキテルペンやステロイドはリジットな構造を持っている、官能基も多く持つことができる)。

純然たる理学であるホストゲスト科学で、香気受容体の挙動が解析できるのか

ホストゲスト科学はその時点においては、そこまでの実用性はないものだった。ある程度のパースペクティブ(将来的 な化学という領域の進むべき方向性への俯瞰)をもたらしたが、ホストゲスト科学をベースにして工学的な応用を検討するとか、その挙動に関して物理化学的な 手法で定量化し、ホストゲスト挙動に対しての理論的検討を行うとか、モデル的なホストゲスト科学の理論研究・実験を通じて生体の分子挙動を解釈・シュミ レートするとか、そのような広がりはなかなか構築されなかった。

研究開始時点に置いてはたんぱく質の構造計算と純然たるホストゲスト科学の考え方で要素臭が 抽出できるのではないか、と考えていたが、常温という熱的環境・大規模分子・凝集系環境の計算の困難さからそれは不可能ではないか、という結論をもっている。

1. aromaphilia: 自分の研究、自分の役割
2. aromaphilia: 香気の受容系におけるコーディング、とは?
3. aromaphilia: 現状の研究興味 (研究室外のテーマ)

(研究テーマ) 生体における香りのコーディングを解析し、香りの近似技術を確立する1/3

『要素臭(の開発)』というテーマを当初立ち上げていた。考えていることが大きく変わったわけではないのだが、より同業者にとって正確に自分の研究内容が伝わるような表現、『生体における香りのコーディングを解析し、香りの近似技術を確立する』と言う言葉、で研究を推進したいと思っており、そちらをなるべく使用するようにする。もちろん実際には一長一短である。当初掲げていた言葉はとても解りやすく、名刺などに書いておいても結構目に止めてもらいやすかった。ながったるい表現は同業者にしてみれば妥当な名前の付け方であるだろうけれども、全くの一般の方にとってはとても解りにくい言葉だ。2回に分けて本テーマについて説明をする。一つ(本稿)はNMF法など使用している数学的・情報工学的な手法に関する事柄をまとめる。

(一般に知られている香りの科学について) 香りは香気物質、つまり揮発性の主に有機化合物の混合物である。香りのコーディングが分かるという事はその香りの構造をとらえるという事である。だが香り の構造を人が感じているように捉えることは、その混合物の化合物混合比率を測定する事とは異なる。ヒトをはじめ、生物が香りをとらえるとき、単純な濃度ではない、香りの濃度に対する、生体応答を見せる。とある化合物に対しては敏感だが、別の物質には鈍感だったりする。それは既存の研究においては閾値という 言葉で表されてきた。なお、一部の化合物については、人間の感覚器でガスクロマトグラフよりも鋭敏に検出される。そのため現状のセンサー系の検出能力のままヒトの嗅覚系を再現するのは困難であると考えられる。

(香りを情報としてとらえると) 核にある考え方は、「ダイレクトな物理量(どんな化学種があり、それぞれの濃度はどれくらいなのだというような)としての香りの情報を使用していては、香りの近似技術を達成させることはできない」と言う考え方である。嗅覚受容系によって、とある香気は特定のコーディングを受ける。香りは空間の中に特定の位置にマッピングされる。これは香りの物理情報をある意味空間において解釈し直したような形になっていると考えられる。従って、香りの近似技術においても、物理量を直接反映したような機械的な定量に沿うのではなく、生体の嗅覚系によってなされるコーディングに合うように香りを要素系への分解をしなくてはいけない、と考えている。

(香りの基底あるいは要素臭) 基底(互いに生体の嗅覚コーディング上において直行するような基底)を要素とし、香りを要素の足し合わせとして表現する。これはその香りのレシピのようなものであり、要素をレシピどおりに混ぜ、ターゲット香気と同じ印象の(近似した)匂いを作成する。香りデータの分解、要素系の確立のためには、様々な香りの生体による受容をデータベース化し、主成分分析(PCA)やNMFなどを適用することが有用だと考えられる。この際、得られた元々のデータは非線形であると考えられるし、各データベクトル中の要素の重みが同じであるとは限らない。この問題は、非リニアな距離演算の適用やカーネル関数の導入が有効であると考えられる(もっと他の数学的手法もあるのかもしれない、要調査)1。

(研究室での検討内容) 現状、NMF法で検討する。距離演算に関しては中本研でこれまでに検討された内容を継承する。今のところ3種類の距離演算を実装し、検討しているが その他の距離演算方法、また発散しやすいと考えられる距離演算(特にIS)については数学的な手法を利用した発散回避方法(候補関数βダイバージェンス) を検討する2。

ヨコミゾ氏+上田さんの”白い闇”

上田さんの今回の作品は建築家の方とのコラボレーションとなっている。そもそも定期的にオカムラが、先進的でアーティスティックな展示を彼らのショールームの中に設置しているようで、今回は11回目なのだそうだ。東京理科大学の教授である川向氏が、この展示の担当者を探し、その人に依頼をして展示を作ってもらう、という展示である。

今回は建築家でもあり、東京芸術大学でも教えるヨコミゾ氏がデザインスペースを引き受け、その協働者として上田さんを指名した。

ヨコミゾ氏の建築はRをつけた建築空間に特徴がある。自分は建築については専門ではないので、詳細は今回の展示のパンフレットや建築系の紹介サイトを参照していただきたいが、一連の作品でポイントとなっているのは、Rをつけた空間による異空間に居るような感覚である。これまでの建築空間は面と面が直行しているので、それが感覚的に「建築空間内に居る」と言う感覚を与える。Rをつけた空間は、距離感が不明瞭になり、視覚に頼れないような感覚を与え、他の感覚を冴えさせざるを得ないような感覚を与える。瞑想室ともなりうる、と言うのにも頷ける。そんな視覚的なシャットアウト感と香り演出を併せることで、より鮮明な香り体験ができないか、というのが今回のヨコミゾ氏の狙いだ。香り体験を視覚のシャットアウト感で増幅することができれば、新しい感覚を体験できる作品になる。これが今回の「白い闇」の作品コンセプトである。

結果としては人の場認識はかなり視覚情報に頼っているので、そのRをつけた空間の無限感のために不安を感じてしまう人が多かったことだ。またもう一つ問題があり、視覚がプライマリーな場認識だとすれば、セカンダリな場認識として人は聴覚、次に手で触っての認識(触覚)に頼ろうとし、なかなか嗅覚にフォーカスしてもらいにくかったかも知れない(それもあってか上田さんは、「犬の様に嗅ぐ」と言うサブタイトルのとおり、「嗅覚の知覚にたいする集中力」をテーマにしたワークショップを行った)。

ただ、個人的に良かったと思うのは、香りによる演出は異空間感を高められることが分かった。親しみのある香りを選んだとしても、面白い展示になったであろうし、あまり親しみのない香りを選んだとしてもそれなりに空間を彩ることになるのではないか、と思えた。香りにもソフトな・ハードな、ザラッとした・なめらかな、暖かい・冷たい、といった共通感覚が感じる程度の差こそあれ存在する。それらを上手に配することで香りの空間演出ができるのではないか、と自分は思った。

おまけ。ワークショップにも参加させてもらった。ワークショップでは目隠しした状態で、他者に匂いを感じる点を動かしてもらったり、扇で仰いでもらったりして、その匂いの動きを感じてもらう。一つ分かったのが、匂いは輪郭のわかりやすい物と、そうでもない物があるということだった。輪郭のわかりやすさはオレンジがもっともわかりやすく、次いでアガー、もっとも判り難い物がマリン調の合成香料caloneであった。caloneは感じにくく、疲れやすく、香りがなくなってもまだ香っているかのような錯覚を持ちやすい。この感覚は改めて感じると面白かった。実は調香の感覚が、香りの輪郭を整える、とか焦点を合わせる、とか角張っていた物を組み合わせて綺麗な形に整える、と言う感覚を伴うものであるような気がしていた。今回の天然の香気と合成香料の感じ方の違いが、その調香の感覚と重なった様に思えて不思議な発見だった。

オカムラデザインスペースR 第11回企画展
白い闇 | Facebook

香りの空間デザイン

「白い闇(オカムラデザインスペースR 第11回企画展)」をみながらつい考えたこと。

家具と建築の関係性は深く、バウハウスのような戦前の時代に置いても、建築家はその建築空間内に自分のデザインした家具を配置した。最先端の建築家は、空間内をすべてデザインするアーティストでもあり、一種の時代の申し子でもあったわけである。オカムラの主力商品自体はオフィス用品であるが、オフィス環境すべてをコーディネートする事もできる会社であり、定期的に行われるこのアートスペースは時代を先取る感性を養うため・感性を打ち出すためにも必要なことであるようだ。

空間と香り、は実はとても古いテーマである。家に人を呼んでもてなす際には、清掃して清めた部屋に客を通し、用意しておいた香をわずかに焚いた後に、食事を楽しんだり、茶・菓子を楽しんだりすることが格式高いもてなしだった。これは日本だけの事ではなく、香の楽しみがある世界では、客を茶でもてなしたり、酒席でもてなしたりする際の、「もう一手」として香を選ぶことも普通にある。

香のような古典的な香りは昔から今にいたるまで用いられている反面、空間に漂う香りが機能性を持ったアイテムとして注目されたことにそう歴史があるわけではない。オフィスに柑橘の香りを微かに流すことで事務作業の効率が向上したり、アパレルショップにオリジナルフレグランスを流すことでブランドイメージが高められることなど近年に入って注目された。アロマテラピーを勉強し、寝室や浴室で精油を用いてリフレッシュしたりしている人も多い。

ぜひ、これを機に 「香りの空間デザイン」を体系的に作ろうという機運が現れてくれればうれしい(自分の研究も研究室の研究も生きるであろう、と思う)

(本当の余談)今回の上田さんの展示で印象に残ったのが、きちんとしたアイディアの核を作っておくことが重要である。それを何人かのコラボレートで行うときにはアイディア構想・作品デザインをディスカッションするレベルから全員参加で、目標イメージを明確化するスタートアップがやはり重要なのだということだ。そのためには、誰がどの専門家であって、相談したら良いのか・また完成度の高い解答を出してくれるのか、明確に知ってオーガナイズし、スタートアップすることが欠かせないと思う。

aromaphilia: ヨコミゾ氏+上田さんの”白い闇”
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