「Upstream and/or Field」について

この話は、マーケティング書籍や起業自己啓発の記事の切り貼りである。オリジナルな考えはないが、久々にちょっと整理してみる

志向

人の人生は有限である。その人が為したいことが、

  • 理論なのか、
  • 技術なのか、
  • Art~プロダクトなのか、

ということを考える

今回考えるポジショニングマップ

自分のコンテンツ・フィールドがどこなのか?どこで研究してゆくべきなのかポジショニングマップで考えた。考えた軸は、

  • みんな知っている ⇔ 知っている人が少ない
  • コト作り・コト消費 ⇔ モノ・テクノロジー

である。すべてのコンテンツは「知っている人が少ない → みんな知っている」の方向に流れる。研究にしても技術開発にしてもモノ作りにしても「知っている人が少ない」方からとってきて、証明したり、レビューしたり、実装化したりして「みんな知っている」コンテンツになる。一般にコンテンツの寿命は「コト作り・コト消費」のほうが短く、「モノ・テクノロジー」のほうが長い。

余談だが、映画「風立ちぬ」の中で出てくる「ピラミッドのある世界」は、「みんな知っている+モノ・テクノロジー」の世界に存在する。「知っている人が少ない+コト作り・コト消費」はフラットな文化になり、ふわっとした世界になる。

フィールド and/or アップストリーム

コンテンツの波及範囲を考えると、Art~プロダクトが最も狭く、技術、理論の順に波及範囲が広くなる。しかしその設計と実現化の難易度は高くなる。採算性の見積もりも難しくなる。理論のフィールドに自分の人生をかけるということは博打色が強くなる。

研究にしても、商売にしても二つのことを意識する必要があるように感じている。

  • 上流と下流
  • 自分のこれまでいたフィールド

である。下流にいるよりは上流にいたほうが波及範囲の広いことを仕事にできる。下流にいると、自分の仕事は上流に支配される。だがフィールドを離れることはそれまで作ってきたものが無効化する場合が多い。

  • 自分のいるべきフィールドはどこなのか?
  • 何が上流なのか?

を自分に問う。

雑談

ふと気になったのだが、マッピングを行うことで自分の立ち位置が明確化する。マッピングできるということは何らかの多変量があるわけだが、そのパラメータをとってきても期待したマッピングが得られないことは良くあることだ。不完全なパラメータと不完全な距離尺度ライブラリーのせいだろう。

(ここまで)