大学祭

(10/7)大学祭などというものは実に10年以上ぶりなのかもしれない。きちんと参加したのはいつだったのか、記憶を手繰ってみると大学1年生のときに音楽系サークルに入ってその出し物を手伝ったのが最初である。2年目に入った頃から音楽系サークルとは距離ができてしまったので、その後、大学に出し物を出す場面で大きく関わる事はなかった。茶道部も出し物は出していたが音楽系サークルが喫茶室を作っていたのに比べたら大きいイベントではなかったのである(茶道部にとっては別途季節のお茶会を、茶室を借りて行う方が大きいイベントだった)。

理学の化学は大学祭とは無関係のスタンスだったので、自分などは大学祭の当日も実験をして屋台の焼きそばをお昼にしたりしていた。それに対して現在の学科は全学的に大学祭では研究室見学を兼ねた研究室公開を積極的にしている。そのために大学祭というものにおよそ10年ぶりに参加することになってしまった。

研究室公開の目的は、不特定多数の人間に対して研究内容を知ってもらい、できれば親近感を持ってもらったり、その研究をしている自分たちを応援してもらったりという事である。自分たちの研究室の場合、研究内容は割りと馴染みやすい物であるにもかかわらず、やっている内容を説明するのは難しい。特に自分の関わっている要素集探求の問題は説明して分かってもらうのが難しい。と同時に、これをきちんと自分が説明できるようになる、仲間を説明できるようにする、ということは研究目的をはっきり認識しなおし、研究の方向性を正す良い機会なのである。

説明はきちんとできるようになった。何人かは鋭い質問をしてくるお客さんがいて、要素臭の探求の話に対してもきちんと聞いてくれ、問題点について話すことができた。「まだまだ解決には遠いな」といわれた際にはさすがにムッとしたが、かといってポスターに書いていないテーマについて勝手に話すわけにも行かないし、話したところで自分たちにとってはデメリットなのでスルーした。

よくよく考えると、自分は出し物、というものが好きなのかもしれない。高校の頃もスピーカー工作を学院祭の出し物にしたことがあったし、大学の茶道部で茶会を出すのも自分自身は好きだった。会社に入ったときも労組のキャンプを作るのも楽しかったし(でもある程度距離を置いていた)、家に人を招くのも本質的には好きだったのだろう。そんな自分の「得意だったこと」「その後埋もれていたこと」を掘り起こすのは何だかうれしい気がする。

それと同時にこの研究テーマの期待度を改めて認識した。若い人も、結構な年配の人も、理系じゃない人も、興味をもってくれている。この研究を進めなくては。第一の、やはりしなくてはいけないことは、生物学実験のデータなどからの情報抽出なのである。何らかの傾向を導出する。それの意味を考え、傾向導出の数式を考え、最終的に仮説を提唱する。そうして行って最終的には嗅覚に関しての研究ベースを作る。そんなところが一番の目標なのである。

ちょっとゼミがグタグタ過ぎる

自分の発表が少々グタグタすぎて、結構自己嫌悪になっている。テーマは良いのだが…。準備とか時間感覚がぎりぎり過ぎるのだ。悪い生活習慣が付いてしまっているかもしれない。

こんなときは生活習慣を少し変えてみると上手くいったり、上手に切り替えられたりするのかもしれない。以前の専門学校の時には午後16:00くらいに終了した後、スターバックスに行ったり、早稲田の図書館に行ったり、東大農図に行ったり、やり方・場所を色々と替えられていた。もちろんお金も掛かるし、交通の時間も無駄に成ってしまう。しかしそのときの自分の状態に合わせて、最も良い状態に頭が切り替えられていたように思うのだ(もちろん、それでも仕事にならない日もある、それは駄目な日なのだ)。

同じ場所に長時間居続けても、仕事が捗るとは限らない。精神状態を上手にコントロールして、中長期で最も効果の上がる生活パターン・精神コントロールをなさねばならない。あとはついつい仲の良い人や、喋りやすい人に頼ってしまう傾向があるので、きちんと一人になって、きちんと自分の言葉をブログなんかを使って練り上げておくことが必要なのだろう。