はじめての場所に降り立ったならば、音と香りを感じてみよう

■2008年10月26日(日)  の日記より

 完全に調律された生活を送りたい。完全に調和した精神状態でありたい。そのためには良い香りに包まれていなくてはいけないと思うし、良い音を配していたいと感じる。「非言語コミュニケーション」という言葉があるが、この音(喋り声ではない)・香りはそんな非言語コミュニケーションの最たるものだと思う。そしてこの音・香りは土地に滲み出している。

 たとえば高速道路や鉄道の効果の下は人に聞き取れないくらいの低周波の音が出続けている。長時間、高架の下にいると精神的におかしくなるという。また寝室にて安眠できる騒音レベルは20~30dB以下だそうで、これは通常のパソコンの起動時のファンの音や冷蔵庫のコンプレッサーの音のレベルだそうだ。そんなの気になったことなんて無いよ、と言う人も多くあるだろうが、これらのある部屋で寝なくてはいけないなら、その生活環境はベストとはいえない。たとえば禅寺体験旅行のような静かな環境の下でしばし暮らす体験をした後、もとの騒音環境に戻ったら、こんなにも苛酷な生活環境で暮らしていたのだ、と唖然とするかもしれない。逆にいい音というのは、倍音成分がきちんと入っていたり、和音構成(和音というのは周波数のずれによって生成してくる唸り)が良い、不協和音がきちんと除去されているものと言えると思う(これはオーディオ、PA、作曲、自宅録音などをしていくうえで重要になる)。携帯電話の着信音が単純な音から和音構成になったときの印象はすごかった。携帯電話をFomaにしたときに「黒電話」と言う名前の着信音があって、好んで使っていた。黒電話の鈴の音を周波数解析して、倍音成分や和音、その経時変化を再現したのだろう。

 香り。香りにもいろいろある。花・フルーツの匂い、茶・コーヒーの匂い、香水の匂い、お酒の匂い…、トイレの臭い、食べ物の痛んだ臭い、体臭、排気ガスの臭い…。香りには良い匂いと悪い臭いがあるようだ。ただ、良い香りだけでよいのかと言うとそうではない。香水には花の香りやフルーツのような良い匂いだけではなく、物の腐ったような臭いや体臭・排泄物の臭いや温泉の硫黄のような臭いが少しだけ入っていて、それが香水に深みを与えるのだ。また、食べ物でも、青みの魚も鮮度が少しでも落ちると臭う。伝統的な料理技術に従えば、焼き魚にしておろし醤油に柑橘類の香りを加えたり、たたきにして刺身にするなら茗荷や生姜やにんにくなどを加えポン酢で食べたりする。いい匂いと悪い臭いという括りはあまり意味を成さず、それらを絶妙にブレンドした香りが生活のふくよかさや深みを与えると表現すべきだろう。そしてその「ブレンド」は個人個人の生活史から成立してくるものだし、その個人個人の「ブレンド」が積み重なって家族や地方や国の香りの文化へと繋がっていく。香りは消してしまえばよいと言うものではなく、良い匂いで塗りつぶすべきものでもない。

 それでも悪い香りはある。昔住んでいた場所のひとつに果実の集積場があって、いつも腐った果物の臭いがしていた。清涼飲料水の集配場にも、そんな臭いがすることがある。使用済みの空き缶が集積されるからだろう。昭和くらいまでの日本建築でトイレ・台所・風呂の間取りが画一的だった(多くの場合、水回りは不浄として北側にまとめられた)のも、中国での風水という思想も、臭いと衛生の問題を解決するためという。現代の住宅では換気扇を用いることで方角と風通しの問題を解決している。臭いがどうなのかと言うよりは、衛生的なのかどうかが重要なのである。また排気ガスの浄化装置がよくなったとは言え、国道のそばはやはり排気ガスくさい。利便性を追求するのは仕方ないが人工的な臭いもなるべく避けたい。天然の建材がもてはやされ、無垢無塗装のフローリングに憧れるのは、人工的な臭いではなく天然の香りを人が求めているからかもしれない。

 はじめての場所に降り立ったならば、音と香りを感じてみたい。自分の求めるものがそこにあるのか分かるかもしれない。

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