関東・東北大地震発生直後の経過(時間系列)

(ちょっと整理されていない羅列情報ですが転記しておきます)

地震が発生したとき、学校に居ました。学校は授業の最中でさすがに皆怖がっていました。頭上が崩落してこないか注意しながら、倒れると厄介な香料の棚の扉を閉め(一度扉を閉めてしまえばストッパーがかかり扉は開かないタイプ)、倒れないように押さえていました。揺れは長かったですが、大きな収納家具が倒壊することはありませんでした。揺れが止まってからツィッターで「地震速報」をフォローし、震源や地震規模などが分かりました。ツィッターの更新は繋がりにくかったですが、通信は何とか更新できるレベルでした(wimax経由)。

揺れの収まった後、強い余震がすぐには来なさそうなことが確認できた後に、上着を持って屋外へ一旦避難、御茶ノ水周辺は騒然としていましたが、倒壊や負傷者は居ないことが確認できました。電話もメールも繋がりませんでしたが、ビルエントランスのテレビで地震情報が分かりました。その後、各自荷物をビル内に取りにもどり、屋外にて再集合した後、学校としては散会になりました。

一旦、学校が散会になった後、電車が止まっていたために、同期で近くの公園までいったん退避していましたが、自分を含む帰宅する必要があるメンバーは、帰宅した方がよいという判断となりました。結局、JRは同日中復旧しなかったし、地下鉄、私鉄も深夜になるまで復旧しなかったのですが、その時点では分かるはずもなく、各駅で運行状況を確認しながら、タクシーを拾えたら拾うという前提で歩きながら、新宿・渋谷方面へと向かいました。

路上は基本的に大渋滞で、バスもタクシーもほとんど動かない状況だったためか、多くの人々は徒歩で帰宅しようという感じでした。東京のオフィスワーカーが身体的には健康になったせいか、みんな割と速いペースで歩いているような印象を受けました。また回線が混雑気味ながら、ダウンしているわけではなかったので、スマートフォンで位置確認、ニュースチェックをしている人が多いのも目につきました(ただし、携帯通話と、携帯メールは不通・遅延気味)。自分たちもお菓子で糖分補給しながら新宿まで歩き、新宿発のメンバーと別れて、渋谷方面にもう一人のメンバーと歩いて移動、復旧した田園都市線で川崎の家まで同日中に帰り着くことが出来ました。

余談ですが福岡県沖地震1)の際も自分は実験室に居ました。意外に出先での被災が多いのかもしれません。

1.福岡県西方沖地震 - Wikipedia

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