坂根厳夫「メディア・アート創世記ー科学と芸術の出会い」工作舎 (2010/10/18)

エンタテインメントコンピューティング(EC)20111という学術会議が日本科学未来館(東京)で昨年の10月頃にあったらしい。実はこの学術会議自体を知ったのが、そのイベントが終わってからであった。坂根厳夫は2011年度の招待講演者2であった。

IAMASのホームページ3によると坂根厳夫氏の略歴は、「1930年、青島生まれ。東京大学建築学科卒、同修士。1956年、朝日新聞社入社。佐賀支局、東京本社家庭部、科学部、学芸部記者、同編集委員を経て、1990年定年。同年4月から1996年3月まで慶応義塾大学環境情報学部教授。1996年4月から岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー学長、2001年4月から情報科学芸術大学院大学学長を兼務、2003年3月末同アカデミー及び大学院大学退官。1970 - 71年ハーヴァード大学ニーマン・フェロー。新聞記者時代には芸術・科学・技術の境界領域をテーマに取材・執筆、評論活動を行ない、慶応義塾大学ではサイエンス・アート概論、環境芸術論、マルチメディア・ゼミなどを担当。IAMASではメディア文化特論、メディア美学を担当。1976年以降、芸術・科学・技術の境界領域の展覧会企画プロデュースに数多く携わる。ISAST(国際芸術・科学・技術協会)機関誌『Leonardo』共同編集者(1985 - 1996)同名誉編集委員(1996 - )。」3とある。

「魔女の実験室」4にあるような匂いに関するインスタレーション周辺をネット上で検索していると現代のアートシーンでのサイエンス・アートや環境芸術論、マルチメディアによるアートを見ることになる。そんな中、EC2011の特別講演の内容を知り、この人の仕事はどんなものであったか、また彼が長年見てきたアートシーンはどのようなものであったか、知りたくなった。そこで坂根厳夫の「メディア・アート創世記ー科学と芸術の出会い」工作舎 (2010/10/18)5,6を読んでみた。Amazonの解説によると
「1960年代よりジャーナリストとしてメディア・アートの勃興を紹介し、やがてその教育現場を指揮した坂根厳夫。エッシャーから岩井俊雄まで、境界領域アートの半世紀にわたる歴史をたどる。
アナログからデジタルへ、その波を乗り越えた証人として、これほど具体的に、かつ温かいまなざしで時代を俯瞰できるのは、坂根さんしかいません。(中谷芙二子(霧の彫刻家))」5
とある。

なおU-streamには特別講演の内容など幾つかアップされている7ので、その人柄や彼の見てきたアートシーンの一部をうかがい知ることが出来る。

参考;
1.エンタテインメントコンピューティング2011 | EC2011
2.招待講演 | エンタテインメントコンピューティング2011
3.坂根厳夫(さかね いつお)
4.魔女の実験室
5.メディア・アート創世記
6.メディア・アート創世記/工作舎 ISBN-10: 4875024320 ISBN-13: 978-4875024323
7.Ustream.tv: ユーザー amcgeidai: 坂根 厳夫 先生 2/2「科学と芸術の融合を模索した半世紀 ー境界領域を追った回想録をもとにー 2011/6/23, 講義:芸術情報特論 A 日時:2011年6月23日 (木) 5限 (16:20~17:50) 場所:美術学部中央棟第一講義室 (地図) ...
*.情報処理学会デジタルコンテンツクリエーション研究会

--------------------------------------------

以下に自分として気になる項目に関してメモしておく。

(p.77)1990年に朝日新聞を退社した坂根氏は武蔵野美術大学と慶応義塾大学SFCから教員として要請されたという。退社後は慶応SFCで「現代芸術論-サイエンスアート概論」や「環境芸術論」として講義を持ち、創作活動を指導したとのことである。退社してからが正にアートの教員生活がスタートしたといえる。慶応SFCの後には岐阜IAMASに移り、理系と文系の混在する環境の下、技術と芸術の境界領域を正に立ち上げた。同時期、「けいはんな学研都市」の研究機関ATRで科学技術と芸術をコミュニケーションで繋ぐ可能性を模索するために国際シンポジウムにも参加している。

(p.105)彼が朝日新聞の芸術関係の取材で積み上げてきた技術と芸術の境界領域の歴史が述べられている。科学と芸術の相克を超える思索と試みは坂根氏の以前から行われており、例えばフランク・オッペンハイマーの「エクスプロラトリアム」は大きな契機になったと述べている。今まで科学技術史上の歴史的な展示物を並べるのではなく「新しい手法による展示を通じて体験学習が可能となるミュージアム」を作ろうとしたのである。この潮流は70年代以降、世界の多くの科学博物館に影響を与え、そしてアートとの境界領域の作品まで展示するところも増えてきた、としている。

(p.151)坂根氏の見続けてきた境界領域のアートは、出現当時からそれらアートのジャンルそのものが認知されていたわけではなく、現代美術史の中ではっきりと定義されているとは言えない。70年代以降には次々に新しい境界領域のアートが生み出されるようになってきた。坂根氏はこれらの作品に使われている技術や科学的コンセプトの違いなどから、便宜的に大まかな分類を試み、各ジャンルに関して代表作を紹介している。20世紀前半に登場していたアートのジャンルもあるし、重なり合うものもあるが、と坂根氏は注釈つきで紹介している。(この中に「匂いのアート」というカテゴリも紹介されている)

(p.181)無限音階の錯覚を利用したレコードの話。錯覚を利用して人の関心をひきつけるというのはなかなか面白そう。

(p.211)ホログラフィアートが以前は盛んだったのだが、現在に至っては衰退し、より簡便になった3D作品が多くなっているようである。コンピューターの処理能力が向上し作成が容易になったことや、ホログラムよりも迫力ある立体視メディアが登場してきているから、ということである。

(p.258)センソラマ、五感体験型のゲームとして1955年に登場したが、嗅覚にも働きかけるものであったらしい。

(p.292)交流電流の微妙な時間変化に応じて振動が起こって音を発する作品や、脳波の信号を使って楽器を奏でる脳波音楽や、オーロラの光を元に音楽に仕上げる作品などの試みが為されている。一種の現象芸術的な試みでもある。

(p.353)世界の人口増加と技術革新と、破綻を避けて生き延びるためにはシフトが必要…現代の芸術はこのような観点をも包含しているのであろう

コメントを残す