「嗜好の多彩化」と従来の「記号的文化消費」についてのメモ

「電子書籍の衝撃:  本はいかに崩壊し、いかに復活するか?」に、予想外に面白いことが書かれていた。

嗜好の多彩化と従来の「記号的文化消費」の終焉が指摘言及されている。音楽分野を皮切りに出版業界もそれと同様の経過をたどるだろうと指摘されている。音楽に比べれば従来の「記号的文化消費」という特色は薄いのだが、文学でもなく、ルポでもない、ライトノベル(キャラクター小説)でもない共感文化ともいうべき新分野が台頭して来るのではないかという大胆な予測が示された。

社会の変容、流行の受け手側~ファッション・服飾
現在、服飾業界など、流行のサイクルの短期間化がおきているように思うし、そのムーブメントの影響力は弱くなっていると思う。戦後の経済成長と国民総中流と言われた社会状況下にあって、日本ではいくつもの大規模な流行(ファッションを中心とした大流行)を経験してきたため、企業のマーケティングも生産計画もその過去の成功パターンから抜け出せないまま緩やかな「退化」(退化という言葉で語られることが多いが、それが本当に退化なのかそれともシフトなのかは要解析と考えている)にある。実際、経済成長と国民総中流という社会状況はファッションの大流行と親和性が高い。`00年代、当時の韓国内ではファッションの大流行が大きな力を持っていたのではないかと筆者は考えているが、韓国の経済的躍進と単一民族に近い国家構成がその土壌にあったのではないかと考えている。現在の日本は経済成長が終わったため、従来の「記号的文化消費」はその役割を果たさなくなった。周りの人々よりも一歩先に豊かになっていることを誇示する必要が無いためである。そこで生じてくるのは誇示のための消費の無意味化、ムーブメントに対する関心の低下が起こる。

このことを考えるときに「Elastic!」の服飾をめぐる4つの文化圏に関する議論はとっても有用だ。
http://taf5686.269g.net/article/1934003.html

単に「記号的文化消費」の面しかメリットとして受け取っていなかった人は、この記事中に紹介されている「服装文化圏 <特徴> 所詮は服、人に不快感を与えなければOK  (ファッションを「服」として捉えているのが特徴。値段とクオリティのバランスを重要視し機能性にもこだわる。ファッションへの関心の度合いは総じて低いけど、身だしなみをきちんと整える人もいれば無頓着な人もおり多種多様)」のようになるのではないか?

「記号的文化消費」ではない何かを「服」に対して感じていた人々はそれぞれの文化土壌を反映して、モード文化圏やオシャレ文化圏や服飾文化圏へと再編成されてゆく。それまでは「いけてる」から「いけてない」までの一次元だった評価ベクトルが複雑化し、バルクからそれぞれの文化へと緩やかに繋がっていくイメージ(もちろん複数の文化圏にまたがる服飾というのもあります)へとかわる。

以上のようなことが現在の文化で起こっていると解釈している(乱暴な議論ではあるが…)。

社会の変容、情報の発信はどう変わるか~書籍

もともと書籍は音楽やファッションほどは「記号的文化消費」との親和性は高くない。新書やビジネス書やハウツー本に関しては、経済・工学に時事ネタや技術トレンドの変遷があるから、それが一定の求心力やトレンドフローを生み出すプロモーターとなる。その反面、漫画は(現状)初出媒体が雑誌であるために、雑誌が求心力として機能すると考えられるものの、ニューアイディアが湧出してくるポイントが経済・工学と違い予測不可能であるため、特定の雑誌が今までほどのトレンドフローを生み出すプロモーターとなることは考えにくい。さらに小説や評論は初出媒体が雑誌ですらないために今後あっという間に、脱中心化、「マイワールド」化が進んでしまうのではないだろうか。

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では香料世界における、「嗜好の多彩化」や「従来の「記号的文化消費」とまでは言わないが、それに近い状況だった流行現象を伴う大量生産という従来のモデルに対して、そのシフトはどれほどの影響があるのだろうか?まったくかわらないのか、それとも嗜好が多彩化してゆくのか?かなり気になるところである。

余談
「Elastic!」の記事を見ていたら、アウトレットモールに関する記事が出ていて、そのリファレンスに日系トレンディの記事と矢野経済のウェブパブリッシングがリンクされていた。日系トレンディの記事はともかくとして矢野経済のリファレンスが公開から1週間程度のタイムラグだった。すごい。この人は勉強家だなぁ、と思うと同時に「これ自分もやれるようになりたい」と思ってしまった。まずは情報収集と勉強からだなぁ。

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