映画「風たちぬ」を見たので考えたことを書く

この映画、宮崎駿自身が色濃く主人公に投影されている、等との論評もあるが、自分はそうは思わなかった。純然と飛行機の設計家、堀越二郎を題材として、その半生を映画にしたものだ、と自分は感じた。

(注意)ストーリーに触れる部分があります(ネタバレあり)。

宮崎駿のある程度の年齢向けの作品においては、主人公の男性は宮崎駿自身がなりたかった人間像、ヒロインの女性は自分がもっとも憧れる女性像をあてがっているように思う。こう感じ始めたのは、もののけ姫の辺りからである。アシタカは理想的な男子として描かれており、ヒロイン役は監督自身がもっとも憧れる女子として描かれている。宮崎駿の映画は、主役級の登場人物が理想的な性質を持っていて、その前提にストーリーが展開してゆく特徴があるように思う。映画のなかで宮崎駿が主人公役の男性像として、自分がなりたかった男性像を当てはめるようになったのは魔女の宅急便以降なのではないかな、と思う。よく言われることではあるが、「ラピュタ」以前の作品では男性登場人物の理想像として印象は希薄で、映画を作成し始めた頃より宮崎駿のヒロイン像は監督自身の理想像が強く現れている。特にナウシカなどは、ヒロインが主人公が持つべき英知や決断力を持ってしまっているので、常人ではないヒロインになってしまっている。もののけ姫では主人公役とヒロインに自分の理想像を分離して賄わせているので、作品としての完成度を上げることができているという。

今回の主人公・二郎も、健やかな気質と英知と自分の中に吹き荒れる風とをもって、飛行機設計の中核にまで上り詰めた「男として憧れられる男」である。この理想的な英知と決断力を持った主人公に加え、今回の映画においても、監督がもっとも憧れるヒロインが登場する。

だが映画の展開としては、悲劇と捉えてよいだろう。観客の欲求を作品が代理して、観客の達成感を賄うタイプのエンディングではないのである。夢が果たされるものの、その後すべてが潰えるさまを描いている。その意味において、この映画は子供向けではなく、大人向けである。

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今回の作品のテーマは、ピラミッド、10年の仕事、ヒロインの純愛であろうと思った。

ピラミッドは仕事の到達点、社会的地位の到達点、階級における頂点を意味している。ちなみに主人公の二郎はピラミッドの頂点に至った。映画で言うと二郎の試作機が軍部の要求性能を大幅に上回る成果をあげた時点である。モデルにしている史実のとおり日本は敗戦したから、そのピラミッドは戦時中のみの物であって、敗戦時に崩壊(作中の言葉を借りれば破裂)してしまうのだが。

10年の仕事。作中では何回か、カプローニが登場し、風は吹いているか、と問いかける。風は、情熱であり、力を注ぐべき仕事が眼前にあり続けている状態を示している。風はどこから吹いてくるのかはわからない、自分の中からかもしれないし、自分の外からかもしれない、風が吹いているときには回りの音は聞こえない。主人公の二郎は風にのって高く高く上って行く。途中、自分がピラミッドの頂きに至りつつあることを知る。それが良いことなのか、悪いことなのかは、作中には示されないし、最後になってもわからない(自分にもわからない)。しかし二郎は自身の英知と努力と技術者としての純真さでその頂きに登り詰める。

ヒロインの純愛について。菜穂子は二郎に対して、すべてを捧げている。もちろん二郎も菜穂子に対してすべてを捧げている。そして菜穂子は二郎の仕事が結実することの意味はさほど理解してないし、理屈でわかる必要は感じていない。その横顔だけを純粋に尊重し、自分も二郎の一部であって、二郎の仕事だけが自分の達成すべきことなのだと思っている。そこには打算とか、生涯を安楽に生きるとか、という意図は全くない。菜穂子が結核を患っていることは、二郎の仕事にとっては(そしてこの作品の完成度にとっては)良いことだったのかもしれない。きちんと結婚し、子供が出来れば、菜穂子にとって二郎の仕事の結実は、もっとも重要なものではなくなってしまうからである。菜穂子に子供がいないからこそ(さらに言うとその意図を持っていないからこそ)、主人公の仕事が自分の全てであって、そのような恋愛であるから純愛なのである。

菜穂子の病が重篤化し療養所に一人で何も言わずに戻ったのが、己の美が失われてしまうからではないかとしている解析を読んだ。僕は美が失われてしまうからではないと思っている。美が失われる面もあるのかもしれないが、二郎の足手まといになり、彼の仕事が達成せられなくなることを怖れたのである。黒川の妻が、二郎の妹加代が菜穂子を引き留めようとしたのを制したのは、そのためであろうと思った。黒川の妻も、会社が為そうとしている仕事を肌で感じており、加えて菜穂子が二郎に全てを捧げていることを知っているからである。黒川の妻が言う「美しい所だけ、好きな人に見てもらったのね」という言葉は、見た目の美しさだけでなく、日々の振る舞いを通じて伝播するその純愛の一点の曇りもない所をさすのだろうと思う。

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物語の結実について。

主人公二郎は最終場面、カプローニとの対話のシーンで「最後はボロボロでしたが」という。これは終戦という時代の流れのなかで飛行機のプロダクトとしての性能が敵国に劣るようになり、国が滅び、会社が崩壊したこと(ピラミッドが崩壊してしまったこと)と、菜穂子が死んだことである。二重の災難で、彼には何も残らなかった。戦後において、彼にはピラミッドも家族も残らなかったのだ。主人公の仕事は現代の冷静な視点では評価されるであろうが、昭和の時代には封印されていたであろう。主人公自身の人生と、ヒロインの命を費やして、成し遂げられた仕事が瓦解して、無に帰すという事実がこの物語の結実なのである。

宮崎駿監督が憧れたものには、実際にはこのようながらくたの結果しか残っていないという悲劇が描かれている。純粋な思いだけが構築する10年。二郎の風が吹き荒れるその仕事と、菜穂子の己の命も愛の見返りをも求めないその10年が、仕事を結実させた。菜穂子の二郎に対しての愛が純粋であればあるほど、その代償として結実したはずだったピラミッドが無惨にも瓦解してしまう物語の結末は悲しい。本当の純愛の結実が死だったこと、監督自身が自分の作品であるにも関わらず涙を流した理由なのではないだろうか?狂気的な自分の風が最愛の女を死に追いやってしまった。それでも風が導くところは変わらない。荒涼とした飛行機の残骸が散らばる丘なのだ。

自分としては結論が出ていない疑問点もある。菜穂子が二郎のメガネをはずすシーンが、「きれいな私を見れるのはこれが最後」という隠喩である、という説。加えて最後に荒涼とした崖の上で二郎と菜穂子が再会するシーン。前者は菜穂子の怒りや絶望がもとにあるのだろうか?後者は菜穂子の許しを意味しているのか?わからない。許しを意味するのであれば、その前に怒りや絶望があるのではないかと思うが、それがあっては純愛ではないような気がする。それとも完全に純愛が失われてしまったのか?愛が失われたのちにその主人公を許す?だがそのための贖罪というものは存在しえないのではないか?と自分では思う。むしろ許しが必要だとすれば、二郎自身を菜穂子に許させる場面こそが、二郎の欲求としてあるのではないか思う。ここの部分は自分としては解釈が繋がっていない。また、最後の一場面でカプローニが「向こうにワインも用意してあります」という場面。この意図が、祝いなのか(さらには祝いなのであれば何の意図なのか)、酔いによって現実を忘れようという意図なのか。解らないが、この場面で上等の酒をあけるのは、なかなか相応しいような気がする。

この映画は「紅の豚」と対をなすのではないかと思った。紅の豚は格好良さと飛行機の美しさを追求した、スカッとする男の遊びだった。そしてこの映画は同じ飛行機というテーマをもって、格好良さと女性の素晴らしさを描きながら、有限の人生のなかで男にとっての仕事とは?女にとっての愛とは?という問題を現実的に問うているように思うのである。最後のシーンに出てくる「飛行機が流れる一筋の雲」が「紅の豚」に出てきたそれと同じなのではないかという気もしている。

なお、作品では「それでも生きなくてはいけない」という結論が提示される。「風は吹いているか?」つまり何らかの情熱が流れ、為すべき仕事が眼前にあるのか?そうであれば為すべきなのだ。そして女の人にとってそのような男を自分のすべてを費やして支えるということは、子供を持って育て上げることや、自分自身が仕事を作り上げることとは違った意味で「人生の結実」なのではないかと思う。まさにそれが純愛なのだろう。

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個人的な感想を付け加えさせてもらうと、菜穂子に対しては、本当に可愛らしいと思うし(このヒロイン像に対して「生涯でボクだけを愛して死んでってくれたらなあ」という願望、と解析しているブログもありました、エグいがかなり納得)、二郎に対しては男として惚れてしまう格好良さだなぁ、と思う。

以上。上記の解釈は製作者側とは無縁の一個人の現時点の感覚です、詳細で妥当な読み解きが提案されることを期待していますが、31歳の自分がこの映画を見れたことはよかったと思ってます(自分はもっと小心者であって、計算高くあろうとします)。

筑摩書房 宮崎駿の<世界> / 切通 理作 著

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