別府大学+大分香りの博物館、文化講座

今更の情報ですが、今期学校法人別府大学および大分香りの博物館では開館3周年を記念して文化講座を開催しているそうです。講座は全8回で、エッセイストの檀太郎氏や東京農業大学名誉教授の小泉武夫氏など毎回違った講師が登場します。との事。香りに対する興味を多くの人々が持っている証左でしょうか。

「香りと食の文化講座」のお知らせ - 大分県ホームページ PDF

ワインにコード

ワールドビジネスサテライトで、今期のボジョレーを皮切りにワイン商品にARコードという一種のバーコードを印刷したワインを商品展開する、というニュースを聞いた。ブドウのマークが一種のバーコードのようになっていて、QRコードのようなもので、ARコードというらしい。ブドウの生産者や、コミュの閲覧・書き込みが出来るらしい1)

よくよく考えてみると、バーコードはもっとも簡易な商品識別方法である。実は自分の愛用しているアンドロイドアプリに、QRコードリーダー2)というものがある。どんなバーコードも読み取って商品検索してくれる。特に有用なものが本のISBNコード。バーコード読み取りをするとグーグルブックスで検索してくれるし、書誌データも入手できる。ただし不満点があるとすれば、コミュとのリンクが薄いところ。グーグルブックスには読書感想や、著者紹介、その本に興味を持った人の他購入書籍といった情報があまりない。その点ではアマゾンや楽天あたりの方が優れていて、リンクした情報からクラスター的な知識を得ることが可能である。さらに連携させて欲しいのがmixiなどのソーシャルコミュ。特に文芸作家などはコアなファンの感想など得られるので、より深い、より広い、より多角的な情報を入手することが可能だ。

さて、現在ICタグによる商品管理というものが広範囲で検討され、一部実用化されている。それは生産・流通の側の情報管理上の必要性から発達してきたのだろうけれども、消費者の側の情報入手の手段としてバーコード、QRコード、ARコードの活用がもっと活発化してもよいのではないだろうか?例えばこのワインのARコードもそうだし、本のISBNコードもそうだ。生産者と消費者も心理的な面での繋がりができて行くだろうし、消費者同士も心理的な面での繋がりができて行くだろう。(余談だが、自分はワインが結構好きである。同じようなワインが好きな人と一緒にあける良い一本はなかなか楽しいものだ。)

もしかしたらそこに本当に美味しいものを楽しむ文化が生まれて行くかもしれない。

1.(同等のニュース)
ワインの楽しみ方を広げるiPhoneアプリ『Wine-Link』登場-実流通と連動し生産者と消費者をつなげるサービス-/OpenPress [プレスリリース無料配信サイト]
mottox-wine.jp
2.
QRコードスキャナー インストール必須のQRコードスキャナー | Android(アンドロイド)アプリの人力レビューサイト【アンドロイダー】

食の崩壊がよく話題に上っているが

朝食が菓子パンと缶コーヒー、昼食がカップ麺やファーストフード、夕食がファミレスやスーパーのお惣菜、というパターンの食卓が増えているという。NHKの番組内で、かなり高齢の料理・食文化研究家の方を紹介することを通じて、そのような現代の食に対して警鐘を鳴らしていた。大学生~中年までの世代を見ても、食品添加物や保存料に対してヒステリックな拒絶反応を示す人々が居る一方で、前述のように食にかける時間を短縮化するだけでなく食品を選ぶ時間・労力までもを省力化し、自分の生命や肉体のバランスを損ないながら仕事に明け暮れる人々も居る。単身の高齢化世代に関してはこの傾向がさらに顕著で、一人暮らしの高齢者が出来合いの惣菜や調理パンで食事を済ませるために、貧栄養状態に陥ることが少なくないという。

まさに二極化状態にある日本の食が垣間見られる。ただしその差は金銭的コストには由来していない。外食率が高かったり、飲酒を伴う食事の割合が高かったり、すればそれだけコストは掛かるが、同じ内容の食事でも外食<中食、出来合い<レトルト、インスタント<完全自炊で金銭的コストも所要時間も異なってくる。つまり、単純に食費というコストはその食事の栄養価や美味しさや維持の難しさとは相関しない。むしろその食の二極化の原因は、「どれだけ考えて食事をしているのか」に由来しているといえるだろう。何を食べるか、どう食べるか、誰に料理してもらうのか、どれくらい労力を払って調理するのか。これらを判断し、最低ラインを決める必要があるのだ。1)

食事の準備に時間をかけず、外食や中食、レトルト、インスタントに頼るのはもちろん良くないが、時間をかけすぎることも現代人にとって現実的とはいえない。もちろん時間をかけてなるべく自分で手作りしたほうが栄養価はよく、手をかけて下拵えや出汁取りをきっちりした方が美味しい食事を供することが出来る。しかしそれを日々継続できるのかという問題が発生する。毎日、違う食品をしたごしらえから調理するということはかなりの大所帯の専業主婦ならいざ知らず、現代の核家族や単身世帯にはとても現実的とはいえない。

なお、昔からの日本の庶民食は、実はそこまで家事負担は高くないと考えられている1,2)。刺身などの魚料理や肉料理のような立派な料理なら手も掛かり、時間も技術も必要だが、それらは宴席用であった。おばんざいや煮しめの類こそが普段食であり、常備食、大量に作って日持ちさせる料理であるから家事負担は高くない。それに加えて味噌汁もそこまで家事負担の高い料理ではない。以前読んだ新書にのっていたことだが、個人的に賛同している意見に、肉や魚を宴席用と割り切って普段食には日持ちのする惣菜と米食と味噌汁を供するというスタイルこそが、金銭的コストも時間的コストも栄養面も満たせるもの、という意見がある。

食の崩壊、この傾向はもう3-5年ほど続いていて、新聞・新書などにもかなり紹介されていた。
具体的な食そのものを見直す必要があるだろう。とはいいつつも根本的な原因として、「食の孤食化」という表現が良くなされる、食事自体の時間を楽しむという面が少なくなってしまってる事が根本的な問題なのではないかとも思う。食の国内供給率(カロリーベース)の低さや、和食離れ、高脂質・高塩分濃度の食事も問題になるが、一番の問題点はこの「食の孤食化」なのではないかと考えている。

1.
Amazon.co.jp: 粗食で生き返る (角川oneテーマ21): 幕内 秀夫: 本
2.
Amazon.co.jp: 進化する日本の食 (PHP新書): 共同通信社: 本p.188-
(その他)
Amazon.co.jp: 腸内リセット健康法 (講談社プラスアルファ新書): 松生 恒夫: 本