自分について、自分のテーマについて②

東京都市マラソンが今日開催されていた。色々な人が走っている。レースという環境での選手としての結果を求めて走っている人、いつも走っている人、この日の為に準備していた人、テレビの企画のために走っている人…、軽い気持ちで参加してしまった人も幾らかは居そうだ。みんなゴールを目指して自分を進めてゆく。もちろん足が痛くなりながらも走っている人もいるし、時々走りながら歩いている人もいる。ゴールできる人もいれば、途中で棄権する人も居る。走る目的も色々だし、それぞれに意気込みも違えば、背景も違う。だからこそ・そして、走っている速度も異なれば走って得た結果も(成果もタイムも)異なる。

世界も同じだ。みな世界の中で走っている。速度も違えば結果も違う。客観的な成果を測る物差しはいくつか一応存在する。経済的成功であったり、ポジションの獲得であったり、心理的な満足感であったりする。だが人それぞれだ。経済的には成功せずとも、心理的に満足を得るかもしてないし、人生の全てを賭け幸せな生活を捨ててポジションを獲得する人もいるだろう。みんな“ゴール”を目指している。もちろん足が痛くなりながらも走っている人もいるし、時々走りながら歩いている人もいる。ゴールできる人もいれば、途中で棄権する人も居る。

前投稿に書いたように、自分のポジションとしてある程度のことが決まってきたので報告したい。引き続き、「個人的なこと」であるが、ここ1-2ヶ月の顛末に関して書く。

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今走り出そうと思う。大学の研究として、香りの学術研究をしたい、それをスタートするのだ。
もちろん今までも走ってきた。香りの研究の既存研究に可能な限り触れて来た、香りを知るためにはまず「香りを作ること」と考えて調香について徹底的に勉強してきた。どこをスタート地点にするべきか、どこをゴールにするべきか、ずっと探していた。2011年の秋、やはり大学研究としてやるべきだという結論に至った。

テーマは香りの数値化、ゴールは香りを数値として表せるようにすること。もちろんこのテーマには副次的に、香りはどのように構成されているのか、匂いの生体受容システムはどのようになっているのか、機械装置として匂いセンサーはどのようなものが望ましいか、等の課題が付随する。しかし「香りを数値として取り扱えることを目標とする」というテーマを据えれば、その後センサーデータの数値化を実用化したり、データ化した香りの情報を商業的に展開したり、データ化した香りの人間への影響を科学的に解析する人文科学へ学術的に展開したりすることが可能になると考えた。ただ/もちろん、どのように研究を確立したらよいのか方法論はまだ無い。このテーマをどこで考え、確立方法をディスカッションできるようにするか?おそらく企業では出来ない、大学機関か独立行政法人のような半官の組織でのみ可能となるだろうと考えた。スタート地点は大学の研究室だと考えた。

それなりに検討はしたものの、中心テーマに据えることはしなかったテーマも幾つかある。香りの受容体機構にホスト~ゲスト科学でアプローチする、嗅覚受容体から得られてきた情報がどのように脳内で処理されているのか脳科学的に調べる、微量ストロング香気成分の分析・開発、匂いセンサーの開発、等など。しかしこれらは生化学的研究、脳科学的研究(人文)、農学的、工学的な研究となり、既存研究がある。

「香りを数値化してゆくこと」に繋がる研究は既存には無い。香り・嗅覚に関する科学的解析するの研究分野はあったのだが、香り・嗅覚を応用してゆこう、という研究は未知分野だと考えている。そしておそらくこの研究は現在最も強くこのテーマを訴求しているN先生の下でこのテーマを進めることが近道だと考えた。

研究に取り掛かることを中心に据えれば、このN研究室で研究をスタートする以外のスタート地点は考えられない、というのが現在の考えである。おそらくセンシングと一体になった研究として展開することになるが、センシングと一体になった研究として展開する以外に学術研究としてのスタートは切れないのではないかと考えているのである。

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先の投稿に書いたとおり、実は研究をやめようかと一時考えた。それは博士課程の学生としては認められなかったからである。これは実はかなり堪えた。自分にも自分のテーマにも、その資質が無いと言われたように感じた。やっても自分には無理そうなら、やるだけ無駄なテーマなら、やっても意味ないじゃないか、と考えてしまったのである。

まずY先生に助言を求めた。Y先生からは「研究では冒険が必要」「実生活の方は安定志向がよい」との助言を貰った。電話とメールで何度かのやり取りに付き合っていただき、「N先生と自分との信頼関係が未知数」「自分は博士過程に押すほど買われていないのでは?」という2点についてもう一度N先生に会って確認すべきという結論に至った。

Y先生が強く助言してくれた事がもう一点、K先生からの助言を貰うように助言してくれた。K先生の助言を拒否して会社を辞めた自分だったが、K先生は丁寧に返信をくれた。その返信の意味はいくつにも取れるものだった。
• そんな方向へと無謀にも舵を切っている自分にたいして、止めておけばよいのに
• 自分こそ研究者としての最後のチャンスなのだから、全力で抜かりなくやれるだけやってみれば良い
• 「言うべきは全て言ったのだ」という事なのかもしれない
• 明らかに言える事、明らかに諭さなくては手遅れになることには、「選択をする場面なのですし、選択は自分がなさなくてはいけません」ということなのだ。
• 電話では可能性は潰したくない、きちんと考え、見極め行動しろ、といっているようにも聞こえた。
K先生の不安と激励を同時に感じたように思った。だがその後、父や学校の関係者と話をしていてK先生の言外の意味をもう一つ知った気もする。それは「自分自身で判断したことには力が出るもの」という言葉の意味である。自分の信念がなければ決断はできないし、自分を信じられないと自分の集めてきた情報(つまり集める学術情報、さらには他者として誰を信用するか)に基づいた判断も下せないし、自分にきちんとした力が備わっていなければきちんとした情報(学術情報、他者)も集めることは出来ない。つまり今回、未知のものへ踏み出す決断は「力もいること」だし、「今まで自分が作り上げてきた力も試される事」でもあるわけである。おそらくK先生はこのようなことを念頭に置かれたのではないかな、と思った。

N先生に対して、またN先生の自分への評価をどのように考えるかは、博士課程審査後に忙しい中話をする時間を取ってもらったものの結論は出なかった。しかし月曜日のN先生が中心となっている研究会でN先生は彼が為そうとしている世界を垣間見させてくれた。彼は一緒にこの仕事をしようと言ってくれていたのではないか?そして助ける・教えるではなく、自分の背中を見せてくれたのではないか?と思った。その積りでやって欲しい、と思っていたのではないだろうか?

博士課程の審査にはパワーポイントによるスライドを作らなくてはいけなかった。たたき台を作るのは自分で行い、N先生にアドバイスしてもらった。その後学術的な表記など細かい部分を確認してくれたのがE君だった。スライドのタイトルをどうしようかとE君と悩んだ結果、博士課程における研究計画…というタイトルを付ける事になった。E君は「「研究計画」良い響きだなぁ」と自分のことのように喜んでくれた。旧友がこんな風に喜んでくれるのは嬉しい。自分自身の結果は不甲斐ないのだが、彼の表情を思い出して「それでもやってみよう」と思った。

博士課程の結果を遅ればせながら報告したとき、父からは、何でそれくらいでへこたれているんだ?と言われた。たかだか博士課程への入学が当面不許可になった程度で揺らいで如何するのか?ということである。研究生でやるルートが残されているのに何でへこたれているのか?ということである。そんなことで価値が覆ってしまう研究テーマなのか?結局のところ博士の審査でも、やろうとした決心、強い意欲が見えていなかったのだ。それを為すためには這い蹲ってでも、泥まみれになりながらでもやる、という強い意欲が感じられなかったのだ。決意と、自身のテーマへの信念が必要だったのだ。そう自分はスタート地点にすら立っていないのだ。

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絶望とかの感情は一時的だ。だが選択とか決断は自分を作ってゆく。この2012年3月は徹底的に色々なものに結論を与え、今後の自分を作り上げていく方向に全てを決断しようと、当初より考えていたでははないか?感情なんかの一時的なものに惑わされていてはならないのだ。

結果として当面のポジションは「研究生」である。それでも今走り出そうと思う。大学の研究として、香りの学術研究をしたい、それをスタートするのだ。


N先生…今度お世話になろうと考えている研究室(電気電子工学科)の准教授
K先生…前の大学の研究室(有機化学)でお世話になっていた教授
Y先生…前の大学の研究室(有機化学)でお世話になっていた准教授
E君…前の大学の研究室(有機化学)の同期

自分について、自分のテーマについて

まず報告。かねてより「香り」を学術的にやりたいと考えていた。自分のポジションとしてある程度のことが決まってきたので報告しようと思う。結論としては、大学院(電気電子工学科)で研究をしようと考えている。ポジションは研究生である。本当は博士課程の学生としてスタートできるのがベストと考えていたが、結果として当面のポジションは「研究生」である。(このブログの存続をどうするか、書き続けるとすればどの程度の内容を書くのかについては未定である。何らかの変更をしようと考えている) 今回は「個人的なこと」であるが、ここ1-2ヶ月の顛末に関して書く。

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(2/18のメモより)課題山積である。とても今すぐに自分の始めたい研究を始められるという状況にはない。そしてこれらは自分の「業」によるものなのだろう。結局自分も「自分の為そうとしていることが結実する」確信を得られていないし、N先生や学科の教授たちも「この学生の為そうとしていることが結実する」確信を得られていない。自分が確信を得られていない理由は、今まで自分の為そうとして為しえてこなかった過去の事例に起因する。相手が確信を得られていない理由は、今ここで喋っている人間がキチンと自分に自信を持っていない事が直感的に察知されたからである。これらは自分の「業」の為といえるだろう。

自分自身の中にある自己顕示欲、自分はそんな仕事だけをして業績も上げられずに終わる訳ではないのだという自負、公平性とか他人を侵害したいわけではないのだという妙な正義感、科学と学術が世界を導いてゆくべきであるのだという信条。Y先生の言うとおりである「研究では冒険が必要だと思いますが、実生活の方は安定志向がよい」、自分に業績が付いてこず、自分に確信が得られてないのなら、安全なルートが確保できるうちにそちらに逃れてしまった方が良いのである。

Y先生の言う「研究では冒険が必要」「実生活の方は安定志向がよい」について、いつ見切りをつけるのか。当初は博士課程の早い段階で、と考えていた。研究内容についてもN研究室に入ってから、おそらく共同研究者が必要になる筈であるので、解決してゆけば良いと考えていた。

今は何が揺らいでいるのか?それは基盤であり、自信であり、自身への万能感(万能感とは言いすぎだが、テーマをやり遂げられる確信)が揺らいでいるのだ。もしくは動くのが遅かったのかもしれない。長く安穏とした場所に留まりすぎたのかもしれない、もっと早くに研究生(どうせ博士課程に入ろうとも自分の実力ではそこにストレートには至らず、研究生というポジションを経なくてはいけなかったというのであれば)として、しゃにむに走り始めておくべきだったのであろう。この「早い段階であっても走り始める」という能力が欠如していたことも欠陥の一つだったのだ。

もちろん2012年3月付けで移った方がよいという考えは未だ正しいと思っている。ただし研究を進める上で必要な要素は満たせていなかったのだ。研究を進めるということを中心に考えると2011年10月がベストのタイミングだったのではないかということなのだ。独りで考え、判断している以上、心の俎上に上ってくるファクターが「所詮狭い」のは致し方ないと思う。いままで自分の「業」の為に、自分の仕事へと結実していなかったのではないかと思う。

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一つには「人を信用し、自分を信用する」その方向を目標としよう、ということなのである。一つはキチンと情報収集して判断しようということなのである。自分の「業」の為に振り回されないように。もう一つは当初考えていたルートとして、後1年用意できると思う。その期間、全力で当初の目的どおりにやってみたら良いのではないかと思っている。

絶望とかの感情は一時的だ。だが選択とか決断は自分を作ってゆく。この2012年3月は徹底的に色々なものに結論を与え、今後の自分を作り上げていく方向に全てを決断しようと、当初より考えていたでははないか?感情なんかの一時的なものに惑わされていてはならないのだ。

先ほど「基盤が揺らいだ」と言った。揺らいだのは基礎だ。基礎が揺らいだことは2010年の秋にもあった。経済的な問題が生じてしまったときだ。基礎が揺らぐと、心が落ち着かないから無理も利かなくなる。でもそんな時大慌てで上に建てようとしているもののデザインを変更したり決断したりすると危険だ。そんな時何とか持ちこたえて、新たな立ち位置を捉えなおし、デザインを変更するのであれば落ち着いて情報をキチンと集めて決断するのが良い。

(次回に続く)


N先生…今度お世話になろうと考えている研究室(電気電子工学科)の准教授
K先生…前の大学の研究室(有機化学)でお世話になっていた教授
Y先生…前の大学の研究室(有機化学)でお世話になっていた准教授

改めて、私について、このブログで書こうとしているコトについて

(1/29のメモより)今までして来たことを纏めておく必要があろう。まず、なぜ香りを勉強することになったのかの経緯について。本来は「香りを科学でやる」。つまり「そもそも香りとは何なのか、香りが人間に与えている印象がどう作られているのか、科学的に明らかにする」ということがしたかった。その命題の周辺を明らかにし、当面の研究テーマを定めるために、またただ科学的テーマに向かってゆくのではなく、アドバンテージを持って研究するためには調香を分かっておいた方が良いということである。そこで昼は学校で調香を学び、夜は自学自習で香りの既存の科学研究について調べてゆこう、というものが当初の計画であった。調香に関して学び始める年齢として27歳と「香りの創造」にあったことにも後押しされて、勉強を開始した。

現在、本腰を入れて行うテーマとして、香りの提示装置を用いた演出効果(エンターテイメント的な効果)および、空間演出(リラクゼーションや効率アップといったような、香りの心理的効果)が商業的にも面白い分野であろうと考えている。このような考えに至った背景としては
• 東工大の中本准教授の本を読んだ。気相中で調香してくれる香り提示装置が相当気になった、要素臭が重要となるという考えに科学的興味を惹かれた。要素臭についてはこれが今後、提示装置にとって重要な解明すべきテーマになる、という印象を数回のトライアルから得た。
• 「香りマーケティング協会」というセミナー参加(2011年9月)。マーケティング的にもデジタルサイネージという用途にも重要視されていることが分かった
• 企業の研究者の方に会ってもらった。このカテゴリの面白さを改めて認識した。特に演出するだけで、センサー技術が完成していなくても演出効果のみでも、社会インパクトは大きいものがある
• NICTでの演示研究やCEATECを見る。匂いの演示装置というのは一時期かなり注目されておりハイエンドとしてかなり研究されていたのだが、ハイエンドな研究者はだいぶ手を引いてしまっている。(例;NICT、ドコモ・NTT、たぶん他にもある) この原因については、要素臭が分からないから、匂いのイメージがどのように形成されるか解っていなかったから(そして結局今もわからず、多分このままでは解る見通しも不明)と考えている。
• 脳科学の外池先生や斉藤幸子先生に会ってもらう。脳科学・心理学的な解析、科学研究を並行していったら有用な研究結果が得られるのではないだろうかと考えた。
• 藤森教授と会う。もともとはこの先生の本を読んで、香りを学術的に体系化したら面白いと思い至ったのである。既存の香料技術はGC分析と官能評価・調香・処方が「中心技術」となっていた。藤森先生からもいろいろと教えてもらいたいと考えている。
というものが今の自分の考え方を作ってきた。まず香りに関しての知見をより強固に収集してゆく。なお、やりたいことは多分野にまたがっている。しかしそれらは相関しているから、それらを複合的に解明してゆくことで香りの実態に近づけるはずだ。

今まで、音にしても映像にしても、センサーの開発の後にメディアへの記録技術と再現装置の開発がなされていたが、匂いに関しては提示装置、匂いデータの蒐集、センサー技術との統合という順序で為されても良いのではないか?

動く、動かす、積み上げる、そして統合する

(今回は私的なことを話す②)福岡の実家には自分の本や書類がたくさん残してある。正月を利用してこれらを少し片付けてきた。

自分の本や書類は本来ならば自分の近くに保管しておいて必要なときに見返したり出来るようにしておかなくてはいけないと思う。必要が無くなったとき、移動するときに自分が書いてきたものや、選んで集めてきたものを一斉に処分してしまう人がいるが、自分はその感覚がちょっと分からない。確かに数年間それを読み返すことは無いのだろうが、自分にはそれらは捨てられない。しかしそんなものに縛られて自分が新しい場所に飛び込んでいく際の足枷になってしまっていてはいけないとも思う。もちろん立つ鳥跡を濁す、というのもまずいのだが。

2007年の春に大学から関西の会社に移動したときには、福岡の小笹の実家から会社の寮に移動をした。そのときには実家にだいぶ荷物を置いたまま、寮には最小限度の荷物だけを持って移動した。本もCDもほとんど置いたまま移動した。「鞄一つだけ」という感覚を持って寮に入った。2009年の夏に寮から京都の家に移ったときには、全ての荷物を搬入できる計算だった。

2010年の春に京都から川崎に移動するときには再び荷物を減らした。シンプルな洋服だけと関連する本とベットとオーディオとパソコン。ベットが増えただけで寮に入ったときと基本的には同じだった。他は福岡に送ってしまった。いくつもあった服も本も保存はするが2年は広げないで専念しようとした。自分が貯めてきたものであるという感覚もあったので捨てられなかった、荷物は出来るだけ整理をしながら詰めた(その後、何回か資料を探す羽目に何回かなったが無事発見できた)。

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この3回の移動は二つの感覚を伴っていた。
• 新しい場所へ全てを捨てて最小限の荷物だけで動けるのだという感覚
• 自分の積み上げてきたものは最終的にはひとつに統合され、自分を作り上げ続けるのだという感覚
自分は鞄一つで飛び込んでいくが、最終的には自分で結果を一つに統合して行く。必要であれば、全ての荷物を整理して、運び出しを自分で手配して、必要であれば貨物車を自分で動かすことさえも厭わずに動き続ける。

しばらく両親には迷惑を掛け続けることになってしまうのだが、当面は後ろを振り返らずに、そして身軽にしておきたいのである。今までのものは時折整理しよう、そして機に際して動ける実力と気力を蓄えたい。

自分の仕事は何なのだ

(今回は私的なことを話す)小泉ニロについて調べなおしたら、この人すごい勢いで変わってゆく人だった。しかもその局面その局面できちんと仕事を残している。音楽活動はしているがアドリブ演奏や生演奏への飛び入りをメインにするようシフトしていっているみたいだし、ラジオ出演や陸上競技への参加をネタにした雑誌編集や執筆活動へと仕事をシフトさせているようである。

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今、自分の為さなくてはならないことは何なのだ?多分書くこと、考えること、調べること、人に話すこと、人に会うこと…その結果としてのコンスタントな研究があるのではないかと思う。だが漠然と「研究」というと誤る、二つの面が存在していると思うのだ。
• 一つのことを掘り下げること、細かなデータを取得していってキチンと発表できるスタイルにまで研究の形を整えること。
• 概要を集めてきて広く見る事、先を見通すこと、それらの概要を簡易に人に対して話せること
ゆくゆくは自分がどちらに傾倒しているのかを理解する必要があるのだが、今はたぶん両面をしなくてはいけないと思っている。とにかく既存研究に片っ端から当たること。研究は多分野に跨っている。それらを出来るだけ広く見、出来るだけ相互関係を知り、理論的な面も掘り下げておく。今為すべきは、片っ端から本を読み、内容を纏めること、自分の解釈を出来る限り形にしておくこと。最終的には「香りの実態」を学術的に捉え解釈して形にしてゆけるように準備しておくことなのだ。

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せっかくなので、以前書いていたことを転記しておく。
「日々何を思考し、何を得るのか。否、日々何を思考して、何を得たのか。それを記録し、結晶化してゆきたいものである。どこまで出来るのかは分からないが、飛び飛びでも良いからという思いで、日記を再びつけ始める。(2004年04月04日、以前のホームページを書き始めた理由)」
「自分という人間は、何か考えを持つためには自分自身が書かないと考えに形を与えられない性分のようです。最初は微細な断片を寄せ集めて作っただけだったし、ただの物真似でしかない記事もあったし、考えが煮詰まりきらない記事のまましかアップできないときもありました。しかし、書く事によって、思考や志向が、情報や風や空気が、繫がり始めてやがて自分の核であり殻である何か形あるものへと繋がっていくのではないか、という実感を得られたのも確かです。(2010年10月24日、blogger一本になる際、旧ホームページを閉鎖する際に話したこと)」

小泉ニロ - Wikipedia
ニロのドイツ便り
小泉ニロ - livedoor Blog(ブログ)

自分の考えを実現するためには

何を学びたいのか?何をしたいのか?

最終的に香りを学んだ後、至る場所は何所なのか?

これまで、色々なヒトに相談に乗ってもらい、多角的な知識を教えてもらい、または本を読んできた。もちろん自分が知識を得よう、先行の研究をされた人々に会ってもらおう、としてきた努力は十二分とはいえないが、自分のやるべき事柄、香りについて今まで未開であって、自分が貢献できたら面白いな、と思う分野はどこに広がっているのか、だいぶ分かった気がする。

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それらが揃った後に、必要となる以下の3点について考えた。(半分自戒的になるが…)
• 自分の考えていることを伝える能力
• 相手の伝えようとしていることを察知する能力
• 自分の要求と相手の要求を把握した後に、それらを摺り合わせて、妥協点を見出そうという能力
これらの能力が必要であり、それらをトレーニングする必要がある。実際にこれらの能力を高度に持ち合わせている人も極稀に存在する。それらはどのように磨いてゆけばよいのだろう?結構、先天性?…もしくは親の素養・指向性に拠るような気もする。

自分の考えていることを、一つの相手に見える形に落とし込む、これは難度の高い課題である。特に自分のように気が散りやすい割りに、一つ一つの事象に興味を奪われるとそれに没頭してしまう人間には特にそうである。最近になってようやくそれが出来るようになってきた気がする。文章を書いてゆく。没頭して書いても、ふと遠くから全体を俯瞰して、つなぎ合わせてみれば自分の立場も自分の主張すべき意見も見える…新しい境地が見えかけているのかもしれない。

相手の感情の動きを細かく察知して、その裏にある思想やら意図やらを汲み取る、これにはトレーニングが必要である。相手の感情の機微を読むというのは鋭い感覚が必要であろう。あらゆる可能性を排除せずに検証し、相手の考えに合わせ込む事ができる思考速度の速さと特定の考えに固執しない思考自由度の高さが必要だろう。

しかし、真の問題は自分が動き続けられるかと言うこと。人間は
• 体力
• 経済力
がまず重要。それにも増して重要なのが
• 知性 = 理解力(帰納的推測力+演繹的推測力) + 知識
• 感性(直観力、美的感性、理論的感性)
それらを発揮させるために必要なのが、意志力。こつこつやる上でも、勢い良くやる上でも意思が弱ければ為すことが出来ない。もちろん意志の強さは心理的エネルギーと肉体的エネルギーによって裏打ちされるとは思う。エネルギーの欠けた状態では「意志」は、その心身を更に不健康へと追い込んでしまうだけである。

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いろいろなことが停滞しているように思える。サボりがちな自分を見つけたら、吐き気を抑えても動かなくてはいけない。動き続けないと勝てない。しばらくは自分の中心に意志力を据えて。

弟の結婚式

書いておかないと忘れてしまいます。弟の結婚式(1/29)は無事終了しました。

結婚式に花が添えられたら良いと思い、自分の処方で香りをつくり、オリジナル香水作りに挑戦しました。弟夫婦は招待客へ宛てたメッセージカードに香水を吹き付けて使ってくれました。

結婚式はうまくいきました(自分が主催進行したわけでは無いからえらそうなことはいえない)。私の作った香りに対して、弟たちをはじめ、招待客も喜んでくれて、とてもよい経験でした。

きちんと弟と彼女さんの同期や研究室友達が沢山来てくれていて、和やかにとり行われました。親戚関係も酔っ払いすぎることなく(父が酔いすぎるかと少し肝を冷やしたが大丈夫だった)、彼女さん主体に準備したメッセージや余興も上手く回り、きちんと料理や酒も当初に設定したとおりに進行して、ノントラブル。何らかの事態が起こったら裏で動けるようにしておこうと思っていたくらいでしたが、なんら問題は起こりませんでした。

香料は納得のいくものは出来なかったが、結婚式はうまくいったのです。自分まで「これからも弟を宜しくお願いします」なんて挨拶をしてみたりして。

自分の作った香りの課題も明確になったように思いました。結婚式に自分の香りを出したことに関しては正しい判断であったが、香料は納得のいくものは出来なかったのです。当初、出来の良かったバイオレットのベースを活用したミュゲ構成のフローラルベースを出す予定でした。それにジャスミンを足し、保留作用の高い石鹸調の天然物を添加してムスクを補って、トップを強くする柑橘を添加し、ということをしていたら良く分からないごちゃ混ぜの香りになってしまったのです。

結婚式に自分の香りを出したことに関しては正しい判断、というのは、大阪の叔父は会社を辞めたときに父に小言を言っていたそうでしたが、この結婚式に香りを用意できたこと、式中にインタビュー形式で香りを作ってあげた事を紹介できるコーナーを弟に用意してもらったことで、きちんと今やっていることを示せました(もちろん弟には気を使わせたのかもしれない)。自分の作った香り、自分の香りを造る能力に少し疑問を感じ始めていましたが、後に引き下がれない、このまま進んでいくべきなのだという念を新たにしました。

とは言っても私自身が調香をするようになって初めて、苦手な香調やそれほど好きではない食べ物も注意して、体系的、総合的に香りを嗅ぐようになったと思います。普段から多様な「良い匂い」をかぐこと、その上で、自分自身で思いついたものは片っ端から作ってみる事、自分の造るものが良い匂いに近づくよう自分以外の人にも匂いを嗅いでもらってその意見を聞くことがとても必要だと思いました。

酒の器


酒の器を色々と楽しむのは自分の趣味である。もう買ってから1ヶ月以上経ってしまったのだが、去る11月、京都に行ったときに、伏見の器屋さんに寄って、節目の一つとしてグラスを買った。

伏見の器屋さんは「とよだ」さん。このお店は焼物からグラスから、しばしば漆のもの、染めものなどの多彩な一点ものを扱っている。どれも作家さんが作った趣向の効いた作品である。取り扱っている作家さんの出身は日本各地の若手で美大・芸大出身者が多い印象。店主の話によると、あまり著名すぎない作家さんの作品は、そこまで高価ではなく、新鮮な趣向が楽しいのでそのような作品を中心にしているそうだ。

自分はあまり沢山購入する客ではないのだが、この店主さんに顔を覚えてもらって、部屋の内装についても相談させてもらったりした。時期にすると関西に移動してからなので、’07年位からか。店主さんに部屋の内装について相談させてもらっていたのは、ヴィンテージリノベーションに関してすごくハマッていた時期があって、この「とよだ」の店内が珪藻土で仕上げてあったから「塗った壁って綺麗だけれど工事が大変そうですよね」と話したことがきっかけだった。店主はインテリア関係の設計と資材供給関係(?)の仕事の経歴もあるとのことだった。(話は変わるが、日本の室内照明にダクトレールがもっと普及すればよいのに、と今でも思っている)

自分はこのお店ではほとんど色の付いていないガラスばかりを買っている。最初に買ったのは吹きガラスのビールグラス。量が絶妙で、吹きガラスで作られているその柔らかなシルエットが冷たいビールのシャープなイメージとよくマッチするとおもう。少し出っ張りがつけてあって手に良くなじむ。今回買ったのはワイングラス。とはいっても量があまり入らないので日本酒や食前酒用にも使える。端正な形で言われないと気付かない程度に金色がかっている。この色味は色の付いたお酒を注いでもその色(赤ワインの赤や白ワインの蜂蜜色)を阻害しないから、すごく上品な色使いだと思う。

綺麗な器を頻繁に買うことは出来ないが、普段使いに使える綺麗な器を少しづつ増やしたいと常々思っている。何か良いことがあったときには記念に、また寄って買いたいなぁと思う。

京都伏見 酒の器Toyoda

関東でのお正月

今年の新年は川崎で過ごしている。その理由はこの日記書きがたまっていたというのが溜まっていたという事が最大の原因である。そもそもの打算的な計画では、一日一報書いていけば7テーマくらいはアップできるだろうと考えていた(で、今少しずつ記事を増やしている)。近々弟の結婚式でも帰省することから、あえて帰ることは無いと考えていたのだ。

1/1には初詣に行った。今年の恵方は南南東だということだったので、鷺沼の家から坂を下っていったところにある神明神社に向かった。だが神明神社はあまりにも人が多かったので、とりあえず学問の神様のほうを先に参ることにした。湯島天神はかなり混み合っていた。御籤は大吉。ここ数年信心が薄かったせいか、自分に素直に生きていなかったせいか、良運を引いた記憶が無かった。籤の通りに、今年は研究の土壌作りが成就すればよいなと思っている。ちなみに自分は湯島天神と湯島聖堂を混同していて、御茶ノ水が最寄かと思っていた。有馬の神明神社には帰宅時によって、鷺沼の家の新年の運気の向上を祈った。

再び時間が空いてしまった

本来このブログは一日一報くらいの更新頻度であるべきはずのものなのだが、なかなかそれは実践できない。「ドラッガーの学習方法」というタイトルの勉強法解説の新書には、ドラッガーが文章化しながら知識をより強固なものへと変えて行った様が書かれていた。勉強方法としてはこのように書き続けることが重要であって、自分もそうなのだが、文章化することで自分の考えに形を与えられることが出来るのである。

ドラッガーの時代と変わったところがあるとすれば、現代は文章がデータ化され、電子化され、自由自在に繋がり始めつつあるという事か…(この話は長くなるし本題ともそれるので止めておく)。それでも自分の書いた文章は、自分の意思・思索の延長であり、付形化物であり、結晶なのだから、これこそを続けなくてはいけないと考えている。

年が変わってしまう前にいくつか自分なりに練ってみた書き込みをアップしておこうと思っていた。今年の年末年始は帰省せずに文章作成の時間にしようと思っていたのである。年末は体調を崩してしまった(軽い盲腸炎だという)ので思うように作業が進まなかったのは残念だが、この記事アップはNHK-FMの年末のジャズ特集を聴きながら、時にはこんな年末も良いものだなとも思いながら、行った。