魚の匂いと和食の調理技術

雑誌「香料」は香りの周辺知識をこまめに特集していて、香料・調香の役に立ちそうな記事が多い。バックナンバーを見ていたらいくつか気になる記事があった。たとえば… 調理文化とスパイス、香気嗜好性の研究に使えないかと、かなり興味を持った記事1)

この記事で大々的に取り上げられている事項は、「魚肉に関する正常な筋肉の死後変化とpH変化」、「魚介類のATPの変化」これから導かれる「魚の鮮度とアミノ酸含有量」である。結論を端的に纏めてみると、魚の死後すぐは魚肉の旨み成分は少ないが、ある程度時間を置くことで旨み成分量が向上するという。たとえば鰹は水揚げ直後よりも、朝市場に並び、それが夕方食卓に並ぶ頃に最も旨み成分含有量が向上するというのだ。ただし食感や歯ごたえに関しては水揚げ直後のものの方が良好な場合もあるから、刺身とは別の活〆というカテゴリも存在する。日本は古くから魚を食べる文化を持っており、それが魚を最もおいしく食べる調理文化を熟成させた。図3では「鮮度と料理法の関係」について言及されており、最も美味しく食べる調理文化が和食にあることを主張して論は締めくくられている。

香料に興味を持つものとしては、魚の経時変化的なオフフレーバー発生の度合いとその香気成分の帰属がほしい。オフフレーバーとは「好ましくない臭い」のことで、油脂やビール香気の酸化した香気や未熟の果実のグリーンノート、肉・魚の腐敗臭はオフフレーバーである。この論文にえがかれている「魚の熟成」はおそらくオフフレーバーの発生を少しは伴っていると考えられる。しかしながら美食家にとっては多少のにおいの強さはよりも「旨さ」が優っているのだ。匂いに慣れてしまえばその食材は旨い。「オフフレーバーを我慢すれば美味しく食べられること」は、高頻度でその食材を食べる機会のある人々の共通認識になり、程よいオフフレーバーは意識されることは無くなり、その感覚はその地方(魚が取れて、よく食卓に上る地方)の食文化として固定化する筈だ。かくして変な匂いを好む文化が確立する。

あわせて考えたいのはスパイス・薬味の使用だ。盛大なオフフレーバーを発生させる食材は、その匂いを打ち消したり、誤魔化したり出来る匂いの強い微量の食材と組み合わせて食べられる。たとえば鰹の刺身は表面を焼き(タタキにして)、柑橘果汁の入った醤油、生姜、葱、茗荷、大蒜などを添えて食べる。青みの魚は臭いが出やすい。それを薬味によって打ち消しているのだ。これらの伝統的薬味の香気と経時的に増加してくる魚の香気を分析すれば、新しい香りの文化の一側面が描けると思う。

この話は魚にかぎらず、肉に関しても同様のことがよく言及される。ヨーロッパで多くの香料が必要とされた背景には熟成され、盛大なオフフレーバーが発生している肉類を沢山食べていた点が上げられる。この腐りかかった肉の臭みを消すために葱類の植物や、ニンニクやコショウのような香辛料、あるいはハーブを用いた料理が発達した。

1. ‘最近の魚食事情(成瀬;鎌倉女子大)’ 香料No.213, H14(2002), 3月号, p.99

コメントを残す