食の崩壊がよく話題に上っているが

朝食が菓子パンと缶コーヒー、昼食がカップ麺やファーストフード、夕食がファミレスやスーパーのお惣菜、というパターンの食卓が増えているという。NHKの番組内で、かなり高齢の料理・食文化研究家の方を紹介することを通じて、そのような現代の食に対して警鐘を鳴らしていた。大学生~中年までの世代を見ても、食品添加物や保存料に対してヒステリックな拒絶反応を示す人々が居る一方で、前述のように食にかける時間を短縮化するだけでなく食品を選ぶ時間・労力までもを省力化し、自分の生命や肉体のバランスを損ないながら仕事に明け暮れる人々も居る。単身の高齢化世代に関してはこの傾向がさらに顕著で、一人暮らしの高齢者が出来合いの惣菜や調理パンで食事を済ませるために、貧栄養状態に陥ることが少なくないという。

まさに二極化状態にある日本の食が垣間見られる。ただしその差は金銭的コストには由来していない。外食率が高かったり、飲酒を伴う食事の割合が高かったり、すればそれだけコストは掛かるが、同じ内容の食事でも外食<中食、出来合い<レトルト、インスタント<完全自炊で金銭的コストも所要時間も異なってくる。つまり、単純に食費というコストはその食事の栄養価や美味しさや維持の難しさとは相関しない。むしろその食の二極化の原因は、「どれだけ考えて食事をしているのか」に由来しているといえるだろう。何を食べるか、どう食べるか、誰に料理してもらうのか、どれくらい労力を払って調理するのか。これらを判断し、最低ラインを決める必要があるのだ。1)

食事の準備に時間をかけず、外食や中食、レトルト、インスタントに頼るのはもちろん良くないが、時間をかけすぎることも現代人にとって現実的とはいえない。もちろん時間をかけてなるべく自分で手作りしたほうが栄養価はよく、手をかけて下拵えや出汁取りをきっちりした方が美味しい食事を供することが出来る。しかしそれを日々継続できるのかという問題が発生する。毎日、違う食品をしたごしらえから調理するということはかなりの大所帯の専業主婦ならいざ知らず、現代の核家族や単身世帯にはとても現実的とはいえない。

なお、昔からの日本の庶民食は、実はそこまで家事負担は高くないと考えられている1,2)。刺身などの魚料理や肉料理のような立派な料理なら手も掛かり、時間も技術も必要だが、それらは宴席用であった。おばんざいや煮しめの類こそが普段食であり、常備食、大量に作って日持ちさせる料理であるから家事負担は高くない。それに加えて味噌汁もそこまで家事負担の高い料理ではない。以前読んだ新書にのっていたことだが、個人的に賛同している意見に、肉や魚を宴席用と割り切って普段食には日持ちのする惣菜と米食と味噌汁を供するというスタイルこそが、金銭的コストも時間的コストも栄養面も満たせるもの、という意見がある。

食の崩壊、この傾向はもう3-5年ほど続いていて、新聞・新書などにもかなり紹介されていた。
具体的な食そのものを見直す必要があるだろう。とはいいつつも根本的な原因として、「食の孤食化」という表現が良くなされる、食事自体の時間を楽しむという面が少なくなってしまってる事が根本的な問題なのではないかとも思う。食の国内供給率(カロリーベース)の低さや、和食離れ、高脂質・高塩分濃度の食事も問題になるが、一番の問題点はこの「食の孤食化」なのではないかと考えている。

1.
Amazon.co.jp: 粗食で生き返る (角川oneテーマ21): 幕内 秀夫: 本
2.
Amazon.co.jp: 進化する日本の食 (PHP新書): 共同通信社: 本p.188-
(その他)
Amazon.co.jp: 腸内リセット健康法 (講談社プラスアルファ新書): 松生 恒夫: 本

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