ノーベル化学賞の「鈴木カップリング」に関して

3週間も前の話になってしまったが、ノーベル化学賞が鈴木カップリングに関して与えられた。このカップリング反応は自分が研究室に居た大学院時代2004-2007頃には既に当然のものとも言えるものだった。全合成研究の過程でも炭素-炭素結合を作る際にはこの反応の適用の可能性が検討されたりしていたし、金属触媒のキラル配位子としてビフェニル骨格を選択すれば鈴木宮浦カップリングで作るという感じだった。合成系の研究室においては、教科書には載っていないが使う反応というものも多数あって、このカップリング反応もそんな「教科書に載っていない有用反応」であった。合成系に関わったことのある化学系の学生でも今回の鈴木教授らの受賞は納得の出来るものだったのではないだろうか?

学術研究者にしてみれば当然の受賞でも、新聞社やテレビなどの報道関係はピントのずれを感じざるを得ない。「何に応用されているのか」などの報道はまだ分かるが、大急ぎで集める情報も「人柄に関して」や「今後の研究者育成をどうするか・子供の理科離れを防ぐには?」が中心になっていて感覚の乖離を感じてしまう。「反応開発」というカテゴリーが専門的過ぎてそのカテゴリーに関しての理解がまず難しいのかもしれないし、学術的な意義を理解してもらおうとすれば、大学の講義レベルとなり、NHK教育の数夜連続くらいの紹介番組になってしまうだろう(むしろそういう番組やって欲しい、日本化学会あたりの全面サポートでNHK教育あたりの製作メンバーで)。

産業界にしても担当者レベルではその研究の有用性を理解しているのだが、会社レベルでは「それが何に使えるのか」、「独占的に使えるのか(特許を押さえたかどうか)」、「プロジェクト着手から実生産までかけて採算性はどうか」といった点を注目する。会社レベルではその個々のファクタがブラックボックスであっても商機の有無こそが最大の関心事であって、研究者やコンサルタントや調査会社がそのブラックボックスの解析役となることで、会社は経済活動に専念することが出来る。仮にそのカップリング反応が目的の商品開発に使えるのかどうかは「合成に関して分かっている専門家(主に研究)が判断すればよい」し、仮に生産して商品化すれば利益が確保できると判断されれば「合成屋やプラント屋が設備とシステムをビルドアップしてオペレータを配せば良い」わけで、各担当者が分かっていれば安心して会社は経済活動をするというわけである。そういった企業・経済活動のスタイルを前にすると、この鈴木カップリングを液晶素材の開発(あるいは医薬品分子の合成)に使えるというアイディアを発掘した研究者、この素反応を理解しスケールアップをしてプラントやシステムのビルドアップを果たした研究者がいたからこそ各社利益を上げられているのだよなぁ、もっと評価されてもよいのに、と思ってしまう。(こうして書いてゆくと自分が本当に会社、特にメーカーに向いていないのだなぁと思う、そもそもブラックボックスが嫌い・なんでも自分が知りたい性格だからだ)

テレビにおいて、どちらの受賞者だったかは忘れたが、面白いことを言っていた。「正しい方法で研究をする、自分が正しい方法を取れていると信じている」事と「めげずに諦めずにこつこつやる」事が化学、ひいては自然科学研究において重要なのだと言っていた。この言葉は受賞者だから発しているのではない。自分はこれと似たような言葉を何回か見聞きしたことがある。それは「化学は鉱脈を掘り当てる発掘のようなもの、頑張っても結果が付いてこないかもしれないし、突然良い結果が付いてくることもある、それも頑張り続けていないと出てこない」という話だ。多くの自然科学者がこの話には同意するだろうなぁと思う。

特許で大儲けとか、論文数稼いで良いポストを取るとか、産学協同で潤沢な資金で研究するといったことを目標にすると衰退して言ってしまうのではないか?そんな中で「将来教科書に載るような研究」が出来た両科学者に倣いたいと思う。

参考(日経とウィキ以外は化学系サイトです)
授賞理由は有機合成の「クロスカップリング反応」 :日本経済新聞
パラジウムと有機合成
鈴木カップリング(1)
鈴木・宮浦カップリング - Wikipedia(wiki.の鈴木さんの項は受賞後の動向の記載が充実していた。ちょっと過剰?)
鈴木-宮浦クロスカップリング

(最初はカップリング反応の香料原料製造への応用を調査する積りだったのが、ついつい別の記事になってしまった。どちらも書きたいこと、調べたいことではあるのだが)

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