嗜好性とは何か、嗜好と文化成熟の関係について考えてみた

嗜好品に興味を持った。なぜなら多くの嗜好品は独特の匂いを持ち、嗜好品による満足感にはその強い匂いも大きな寄与を果たしている。

Wikipediaによると「嗜好という言葉のある中国には嗜好品というカテゴリーはなく、韓国語には「嗜好品」という言葉はあるが日本語の借用語といってよく、和英辞典の英訳もしっくりとしない。」とのこと。

「嗜好品の特質は以下のとおり。
• 普通の飲食物ではない。:栄養・エネルギー源を期待しない。
• 普通の薬ではない。:病気治療を期待しない。
• 生命維持に強い効果はない。
• ないと寂しい感じ。
• 食べると精神(心)にいい効果がある。
• 人の出会い意思疎通を円滑にする。
• 植物素材が多い。
ほとんどの場合、心理的あるいは薬理学的な機序により習慣性を有し、物質嗜癖の対象となりうる。嗜好品は、薬理学的依存形成作用の有無で二つに分けられる。すなわち炭酸飲料や菓子のように向精神作用はないが、味や香りなどによって心理的に習慣性を形成するものとコーヒーや茶[3]、アルコール、タバコなどのように、味や香りによる習慣の他に加えて薬理学的な依存性を有するものである。」

嗜好品の根底には「たしなみ(嗜み)」がある。たしなみ?たしなみと過度の依存性・習慣性との差はどこにあるのか?それは
• たしなみの対象は嗜好性(中毒性・依存性)を持つものの
• たしなみには社会的な容認が必要であって
• たしなみは節度を併せ持って行わなくてはいけない
という点にある。「大人のたしなみ」「男の嗜み」「淑女の嗜み」…いずれも中毒性がありながら、依存性・習慣性に強く嵌りすぎることなく、社会生活との両立、もしくはそれを用いて共同体内での意思疎通をより活発化・円滑化することが前提である(「たしなみ」の領域を超えて依存・習慣化してしまうと「身を持ち崩す(=ドロップアウト)」となってしまう)。

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さて嗜好品を楽しむために必要な要素はもうひとつあって、それは「嗜好品」を楽しむ人間の「成熟」が必要だということである。前述の依存性・習慣性のためでもあり、生命維持に強い効果はないためでもあるが、子供が大人になるにしたがって身につけるという性質を持っているのである。まさに「文化」を身に付けるごとくである。子供は成長するのに従って、「文化」の色に染まってゆくのと並行して、「嗜好品」の味を覚えてゆく、「嗜好品」との付き合い方を身につけて行く。「嗜好品」の味を覚えるというのは、味覚・嗅覚がその文化の中で成長し大人になってゆくことであって、「嗜好品」と上手く付き合えるようになるというのは、その文化の中で「社会性を身につけ」、共同体内での意思疎通をより活発化・円滑化することを象徴していることはとても興味深いことである。

多様な嗜好性を擁している文化は、成熟して複雑化した文化なのかもしれない。その文化の中で味覚も嗅覚も社会性もシステムも成熟して複雑化していて、その象徴として「嗜好品」文化、さまざまなカテゴリにおける成熟して複雑化した「嗜好性」が擁されている、とは言えないだろうか?

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財産や文化(=知識、システム)は戦争や災害によって破壊される。(戦争や災害などで)前世代からの引継ぎが少ない共同体は、努力しながら段々とそれらを蓄積してゆく。その結果、共同体には財産や文化が誕生する。それと並行し文化の「癖」ともいえる嗜好性が構造化し、それと並行し大人へと「成長」する際の障壁が高度化して行く。ただし、共同体が文化成熟する際には、多くの場合で社会の階層化と非流動化を伴う。そして、場合によっては共同体は閉塞し、文化は衰退する。

文化成熟した共同体下では、人間はストレスを感じるものである。自分の限界というものがあり、自由は制限され、高度な社会貢献が求められる。だからこそ、ほとんどの「嗜好品」において、心理的あるいは薬理学的な機序により習慣性を有する反面、それは社会的に容認され、大人が節度を持って、共同体内での意思疎通をより活発化・円滑化するのに用いるのではないだろうか。

その代わり、多くの嗜好品は独特の匂いを持ち、その嗜好品の匂いは共同体によって、文化的に洗練され続けてきた。満足感にはその強い匂いも大きな寄与を果たしている。こう書いてみると、「文化」と「五感とくに匂い・味」と「嗜好性」が密接に絡み合っていることが、(一部垣間)見え、もっと調べてみたくなる。論が乱暴すぎるが、考えていたので書いてみた。(リファレンスも探してゆきたい)

(引用)
嗜好品 - Wikipedia

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