音楽と香りの類似性

坂本龍一がNHK教育で作曲について講義をしていた。クラシック音楽における作曲技法を説明している。どんなメロディに次のメロディをつなげていくのか。どう主題を作っていくのか。そのようなことを論じていた。装飾音などもあるが、メロディからメロディへの接続は、情感から情感への接続である。テンポや温度感は繋げても良いし、ドラマチックに転回しても良い。面白いなぁ、と思った。

香り、特にフレグランスはその要素を持っている。どんなベースにどんなミドルを合わせるのか?型(スタイル…というよりは「テーマ」ともいえるかもしれないが)やクラシックも存在している。例えば、洗剤とか食品用からアコードを導入するといった全く異分野からの香調の輸入もあるし、クラシックを踏襲していても面白みのない香調にすぎない事もある。どうもそのプロセスが作曲とかに似ている気がする。

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実はもう一つ似ている気がする。

音楽演奏は電気信号に変換できる。電気信号は再びオーディオに入力してやると再現できる。香りもGCを用いればかなり良いところまで解析できて、組成情報が得られる。組成情報が分かればかなり良いところまで再現できる。

電気信号を見ても良い音かは分からない。だが、楽譜から音を演奏で再現すると、演奏者には良い音か分かってくる。香りもGC解析を見ても良い香りか分からない、しかし処方だったり、アコード要素だったりを、原料を持って来て組んでみると、良い香りか分かってくる。

芸術作品のデータ化、生データとレシピ・楽譜は別次元に存在しているのではないだろうか?

つまりどちらも機械による情報化はある程度可能なのだが、機械的な信号は芸術の美的感性とは全く異次元のモノなのである。機械的な再現は果たせるし、CDやそれ以上の高音質メディアは十二分に音楽のすばらしさを伝えてくれる。しかし音楽的美的感性はその信号を見ても伝わらない。むしろ楽譜やコード進行といった“指示書”による方が音楽的美的感性は伝わる。香りに関しても然りである。GC解析を見るよりも、処方中ナチュラル素材のバランスはどうなっているのか、アコード要素は何が組まれているのか、といった“指示書”による方がフレグランスの美的感性は伝わる。

もっとも、音の信号化は技術として確立しているが、香りの信号化は確立されておらず、GCでは再現情報としてはまだ足りないと言うのが実情である。実際の香りのコピーでは調香師の職人技で合わせ込むことが必要とされている。したがって、センサー技術、香りの数値化方法、両面の整備・実用化がまず必要なのである。その「解析」から匂いが分からなかったとしても、実用レベルで「再現」できるセンシングが必要なのだ。なお音はマイクロフォンでリアルタイムに補足出来るが、GCに頼る限り、香りはリアルタイム分析が不可能である。その意味でも香りセンサーはフロンティアな技術課題だ。

話はそれるが、“録音”は作りこみの職人技的要素が実は多分にある。現在に至っても商品レベルのマイクロフォンは指向性、S/N特性、がフラットではないし、数値に表れない「癖」「音色」があって、エンジニア(=職人)の好み、ポリシーが存在する。またミキシングもいくつもの職人的テクニックがあり、録音という「商品」の価値をかなり左右している。(自分は宅録マニアではなく、オーオタさん、なのだが…)

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芸術作品の信号化(データ化)は技術課題であり続けているし、それが可能となった時、社会は大きな転換を得る。また生データとレシピ・楽譜は別次元に存在している。美的感性は芸術作品の信号化(データ化)とは別物である。

schola 坂本龍一 音楽の学校

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