自分の核であり格をつくるもの

なんだかものすごく軽量化して、どこか別の世界に出て行きたいかのような感覚に襲われる。と同時に、現在行っている研究で、クオリティカルなアイディアがでてきて、真に研究が進んでくれたら、とも思う。

土曜日だったので色々なところを回ってみた。オーラ不足であるなという感じになってしまっている。外国語の練習はそれなりに出来たのだし、Windowsphoneを買う話は一応できた。服屋でも自分の事は覚えてくれており、要するに当時のオーラはきちんとしていて、きちんとした印象は与えられているのだと思った。再安価での購入はできなかったが、WindowsPhoneになって、‎その検証もして行く。そこまで悲観するほどの落ちぶれはない?のか

研究をどのように片付けるのか、どんなウェイトバランスで仕事をこなしてゆくのか、それをきちんと考え直して、きちんと緊張感を持って仕事を進めてゆく事が必要である。他者・自分の周囲の人間を自分の仕事に引きつける事、自分に接客してくれる人からより一層考えとアイディアの詰まった仕事をしてもらえるようになること、少しでもより対等な・自分に有利な交渉条件で物事を進められること。やりとりに甘えが出てはいけないし、オーラの安定性が必要であろう。

ストレスがかかった人間しか認められないというのは、日本の社会の間違ったところだと思う。でも自分のオーラが落ちているときというものはとても注意をする必要がある。やって行く他ない。どうにか自律的に仕事をする。タイミングで取り逃しては研究も仕事もうまく行かなくなってしまう。

多分そこでも核にするべきはブログなのだろう。自分の考えたことを‎遊びであれ、仕事であれ、趣味であれ、一定の完成度まで高めて行く事。そのためにいろいろなものをセットアップしたはずなのだ。ブログの形まで持って行ければ遊びであれ、研究であれ、仕事であれ、その到達点に対して納得する事が出来る。あんのんとしたままに、自分がどこまでできたのか明確化することもなく、研究をし、仕事をし、趣味をするだけでは自分自身がした事に対して納得もしないし、満足も、それに対する自尊心も得られないであろう。そういうものがオーラとして出る。別に長生きをしたくて生きているわけではないのだから、もう少し自分を追い込んで、最後の詰めまで"仕事"を完成させ、きちんとした達成感と満足感をその"仕事"から得られるようにしようではないか。

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