エジプトの香水

香りのソムリエAIKOさんという方のエジプト香水に関するトークイベントを聞いて以降、エジプトやアラブエリア、西アジアエリアの香水文化にも結構興味が沸いている。勝手な先入観がかなり入っているとは思うが、結構濃厚な香りを好むのではないか?と思っている。

実際このセミナー中で嗅いだ匂いは濃厚なものが多かった。

このエリアの香料は歴史的にもヨーロッパよりも長いはずだ。しかもヨーロッパをはさんで日本とは対極の香り文化を持っているのではないか、と思える。このような領域の香りを独占的に入れられるようになれば会社としても面白いのではないか、と思っている。

主催者の彼女に卒業制作発表会と新作発表に関しての案内をもらって、連絡を取ってみたら、結構丁寧にメールを見てくれたようで、あった際には香りの話や現地の香水の話などいろいろ教えてもらえたら良いな、と思ったりしている。前回セミナーには自由が丘の店長も出たかったようだ。だがメールの重要度を低くして送ったので、読むのが後回しになってしまい、出席できなかったという経緯がある。今回は付いて来てもらい、あまり日本では見ないような香りの話なども聞けるのではないか、と思っている。

大学時代の友人たち

どうした理由かは分からないのだが、なぜか繋がっているかつての大学サークルを感じた。というのはgmailアカウントの方にOB会の関東での遊びのイベント情報が入り込んでいたからである。自分はそのgmailのアカウントを部関係で使ったことはなかったし、関東に住んでいることも言ったつもりはなかった。それでも案内をくれたことは、ちょっと嬉しい出来事であった。

実はそれまでにfacebookで同期のHさんの名前を何回か見ており、その後相手がステータスを変更したためか、こちらの友人候補のラインに上がることはなくなっていた。覚えておいてもらっている、とかいう話はなかなか嬉しいものである。だが少々困るのは、のこのこと顔を出せる状況にはない事。自分がきちんとお金の入ってくる状況を得ていたならば、堂々と顔を出して報告すればよいし、きちんと学会の報告などの形で学術業績を達成していれば、堂々と顔を出して報告すればよい。

だからそのOB会のメールには出席の回答をしないことにした。ただし、facebookで見かけていたHさんにはメールをしてみることにした。Facebookで何回か見たときには、友人宣言した方が良いのか結構悩んだ挙句にしなかった訳だし、今回のOB会の連絡をスルーするにしても、今後は顔を出したいと思っているのだから、関係は維持したいわけである。それにHさんは大学のころから自分に対して結構親切にしていてくれた(記憶違いでなければ、割と長期に海外に行った時にメールで連絡をした大学の友人では唯一だったと思う)。デメリットを与えない、余計なことに引きずり込ませない、ただ関係を最良の形で維持したい、だからそこには顔を出さない、これはそういう考えである。

昔の仲間たちと再び会えるように、そろそろ本腰を入れよう。

化粧品の展開、本業の研究、とりあえず俯瞰

(8/28修正・編集9/11、9/25)
自分の占いによると9月はまた再び色々なテーマに挑戦する月だそうである。8月の後半からは自分のポジションをアップしてゆく期間に入ったと書いてあって、まぁそうだったんだろうと思う。

香水のビジネスの話もきちんとした輸送会社が通せることが決まって、しかも値段的には従来使っていた香港の企業のルートの方が安く、こちらにとっても落ち度のないものだったというレベルの話になっている。これはなかなか運が良い展開である気がする。

本業の方でも先生のやりたいと思っている方向の研究計画をきちんと纏め上げられた。プレゼンは散々だったが、スライドの出来はなかなか良かったのである。それにスライドを纏めていく中で化学系の理論や原理からビルドアップしていく系と、ブラックボックスを残しつつもマイニングしていこうとする系の違いのようなものも明確化してきたように思う。

結局自分のやりたい研究の内容はその双方に跨っているのだと思う。マイニングにのみ依拠していてはやっていることはぶれてしまうかもしれないし、香気と嗅覚の根底に何があるのか考えていく中で見誤ると思われる。できる限りは理論と原理からのビルドアップであるべきだし、できない部分に関しては学習プログラムやマイニングによる抽出を計算機上で検証していくようなやり方しかないのだろうと思う。

さてそのような従来の研究手法では、ちょっと及ばないところに行ってしまう恐れのある研究分野なのだが、それらを上手につなぎ合わせていくためにも、研究室でマイニングのようなことを追求しつつ、自分自身だけでの研究やリサーチにおいては原理・仮定からのビルドアップをしていくための勉強をして行こうと考えている。

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化粧品の展開について。だいぶ輸送の手段など煮詰まってきている。あとは
・    順調に登録商品の品数を増やしていくプランがきちんとまわる
・    注文がどんどん入ってくるようなBtoBの営業力がつく
・    注文をさばける小売り能力・商品知識力がつく(おそらく香りと人物像のマッチングを考えることが出来るようになる=香りのパーソノロジー、が分かるようになる)が揃うと、仕事としては順調になるはずである。もちろん、自分の本業を研究として進めるならば、一定のところで、この仕事の主担当を自分以外の人間に割り当てて、その人間が責任者としてこの話の進展を進めていけるようにならないといけない。そんな資質を持った人間は化学系+マネージメント系で組むとか、法務・実務+接客で組むとか、ある程度人間を組み合わせて仕事が進む状況を作り出すことが必要なのだろうと思う。

自分としては、自分が直接会社の運営に携わろう、という考えはないが、自分と対になるような人間にやってもらって、その会社のノウハウ・上がってくる業界知識・運営知識を共有化できるような状況になってくれば良いと思っている。その意味では店長のようなタイプの接客・社交の強い人間をこのポジションに充てたいなと思うわけである。やはり自分の能力は、大きく考えて、踏み出して、仕事の形を作り上げるところにあるのではないか、と思っている。

またこの仕事は専属の人間がやるというよりは、退職して時間のある人がやるとか、主婦の人で社交能力・接客能力がある人がかなり長期にわたって仕事をして、その仕事能力を高めていくというプロセスを経る方が良い気がする。その帰結としては、給与は少なめ、ノルマも少なめ、拘束時間は少なめ、ただし相当長期にわたって会社とメンバーの関係は継続する、という形態になるだろうと思う。おっとりとした上昇志向の少ない接客好き・チーム好きで会社を組めれば安泰な気がする。

9月18日 新潮流

(9/18)節目を通過したような気分でいる。新たなスタート、今までとは異なる潮流の中に入って行く気がする。


占いによると今年は跳躍の年であるようだ。この9月の占いでは挑戦の月であり、誰かと結婚を決意するかもしれない、という占いだった。自分はいろいろな事を経由して今の研究の話に至ったが、その方針が固まった、という事を示しているのではないか、と思っている。そして9/16は新月であり、すべてが動き始めるとされる日、翌9/17は自分の誕生日であった。

もちろん占いというものを盲目的には信じていないが、バイオリズムというべきものはあるような気がする。バイオリズムを掴むことで、効果的・エネルギーをそんなに浪費せずに守り・攻めが出来、自分の身体・心・精神を効果的に働かせて仕事が出来、周囲からも評価されることが実現できるのではないかと考えている。

このような着眼点がなければ、周囲の引き上げに対して自分の感覚がついて行かない齟齬が起こったりするだろうし、自分がいくら頑張っても結果も評価も伴わず空回り感のある状況が訪れるだろうと思う。

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この8月下旬、9月上旬は相当に空回りしていたイメージを持っている。一つは趣味に思考と集中力が奪われてしまっていた事、それもアンコントローラブルな程に。その反面、それらには没頭できたため、9月以降にその感覚がくすぶり始めてしまうことはないのではないかと思う。ある意味それを作る作業は、自分にとっての振り返りの時間であって、自分の中を整理統合する・出し切る時間でもあったようにも思うのだ。そしてそれらは自分を制御した状態では為しえないような気がする。どこか肩の力が入ったまま、自分の中の何かを出し切ることは無理なのである。

もちろん自分がそれに没頭する、仕事のことも、新しい研究のことも全く投げ出して顧慮せずにそれだけにのめり込むことは、自分自身はとても不安である。惧れがあったから、ものすごく手相・顔相の変化などにシビアになった。実際左手の太陽線が弱くなって行っているのを見て、自分がすべてを放り出してのめり込んで遊んでいるのだな、と思った。こんな感覚が伴っていては遊びではない、とすら思うが、これこそが遊びであるだけではなく、心の平衡を保つための必要な作法であるのだろうとも思った。

人によっては恋人とどこかのバカンスに1週間ほど出かけたら、セックスばかりにのめり込んだりするだろう、この感覚に近いのかもしれない。その、仕事も今後のことも全く顧慮せずにそれだけに没頭する、そんな時間が人間には必要なのだ。それが自分にとっては恋人とのセックスではなかったという事。もちろんそちらに没頭する方が一般には理解されるであろうし、健全だ。それは相手の女性にとってもプラスであり、必要である場合も多いはずだし。そして、そんな関係を構築しておいた方が人生にとってはプラスなのであろうことは分かっている、きちんと機をとらえてそれらを構築しないといけないのだという事も分かっている。ただ今まではその機ではなかったし、無理やりそれを形成しても破綻する可能性があった(こう考えているのは、自己弁護かもしれないし、解決を先送りしているだけなのかもしれないが、その自律的な考察はまたにする)。

というわけで、これまでが自分のリセット。夏は終わって、これからは仕事をするべき・自分を作るべき秋や冬がやってくる。走り始める。ただそれだけ。

それにしても「「やらなきゃ」を「やりたい」に変えて、」って良い言葉だな、実現はなかなか難しいけど。

手は遅い、頭は早い。手は来たことのないところへと進む、頭は同じところをぐるぐる回る。

(個人的なことを書く)自分が最近思っていることの2つ目である。やはり調べながら書きながら考えないと考えも何も纏まって行かないように感じるのだ。しかし、手は遅い。書く端からどんどん忘れたり、考えに書くことが追い付いて行かずに変わったりしていく。エネルギーは有限だからかける量にも限界がある。

自分の性質をどういうかについて、村上春樹の言っていたことに自分も同意するところがある。「書くことでしか考えられないし、書くことでしかいろいろなものに理解を与えられないのだ」ということ。結局書くことによって、同じ場所の堂々巡りになっている思考に道筋を与えて、きちんと道を作って行く。このような方法によってしか、自分の考えている方向を明確にすることもできなければ、自分の考えている方向も・進んでゆく方向も明確に認識できないのである。こうしながらじわりじわりと、文章によって自分の立ち位置を明確化し、自分の周りを取り囲む空気や理法を明確化したならば、漸くそこから一歩出られる・もしくは一歩踏み出せるのである。自分の指向・思考・嗜好を具現化できた成果のあるうちはそれをもとに自分の考えや方針を周囲に対して説明できる。しかしその状況に安穏としていると、自分自身はリンポともいうべき生暖かい柔らかな泥の中にじわりじわりと沈んでしまい、やがて自分すらも分からなくなってしまうであろう。

書こう、書くことによってしか考えられないし、結晶化してゆかなくては前に進まない。手は遅い、頭は早い。手は来たことのないところへと進む、頭は同じところをぐるぐる回る。両方を回さなくては泥の中に沈んでしまう。