9月18日 新潮流

(9/18)節目を通過したような気分でいる。新たなスタート、今までとは異なる潮流の中に入って行く気がする。


占いによると今年は跳躍の年であるようだ。この9月の占いでは挑戦の月であり、誰かと結婚を決意するかもしれない、という占いだった。自分はいろいろな事を経由して今の研究の話に至ったが、その方針が固まった、という事を示しているのではないか、と思っている。そして9/16は新月であり、すべてが動き始めるとされる日、翌9/17は自分の誕生日であった。

もちろん占いというものを盲目的には信じていないが、バイオリズムというべきものはあるような気がする。バイオリズムを掴むことで、効果的・エネルギーをそんなに浪費せずに守り・攻めが出来、自分の身体・心・精神を効果的に働かせて仕事が出来、周囲からも評価されることが実現できるのではないかと考えている。

このような着眼点がなければ、周囲の引き上げに対して自分の感覚がついて行かない齟齬が起こったりするだろうし、自分がいくら頑張っても結果も評価も伴わず空回り感のある状況が訪れるだろうと思う。

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この8月下旬、9月上旬は相当に空回りしていたイメージを持っている。一つは趣味に思考と集中力が奪われてしまっていた事、それもアンコントローラブルな程に。その反面、それらには没頭できたため、9月以降にその感覚がくすぶり始めてしまうことはないのではないかと思う。ある意味それを作る作業は、自分にとっての振り返りの時間であって、自分の中を整理統合する・出し切る時間でもあったようにも思うのだ。そしてそれらは自分を制御した状態では為しえないような気がする。どこか肩の力が入ったまま、自分の中の何かを出し切ることは無理なのである。

もちろん自分がそれに没頭する、仕事のことも、新しい研究のことも全く投げ出して顧慮せずにそれだけにのめり込むことは、自分自身はとても不安である。惧れがあったから、ものすごく手相・顔相の変化などにシビアになった。実際左手の太陽線が弱くなって行っているのを見て、自分がすべてを放り出してのめり込んで遊んでいるのだな、と思った。こんな感覚が伴っていては遊びではない、とすら思うが、これこそが遊びであるだけではなく、心の平衡を保つための必要な作法であるのだろうとも思った。

人によっては恋人とどこかのバカンスに1週間ほど出かけたら、セックスばかりにのめり込んだりするだろう、この感覚に近いのかもしれない。その、仕事も今後のことも全く顧慮せずにそれだけに没頭する、そんな時間が人間には必要なのだ。それが自分にとっては恋人とのセックスではなかったという事。もちろんそちらに没頭する方が一般には理解されるであろうし、健全だ。それは相手の女性にとってもプラスであり、必要である場合も多いはずだし。そして、そんな関係を構築しておいた方が人生にとってはプラスなのであろうことは分かっている、きちんと機をとらえてそれらを構築しないといけないのだという事も分かっている。ただ今まではその機ではなかったし、無理やりそれを形成しても破綻する可能性があった(こう考えているのは、自己弁護かもしれないし、解決を先送りしているだけなのかもしれないが、その自律的な考察はまたにする)。

というわけで、これまでが自分のリセット。夏は終わって、これからは仕事をするべき・自分を作るべき秋や冬がやってくる。走り始める。ただそれだけ。

それにしても「「やらなきゃ」を「やりたい」に変えて、」って良い言葉だな、実現はなかなか難しいけど。

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