手は遅い、頭は早い。手は来たことのないところへと進む、頭は同じところをぐるぐる回る。

(個人的なことを書く)自分が最近思っていることの2つ目である。やはり調べながら書きながら考えないと考えも何も纏まって行かないように感じるのだ。しかし、手は遅い。書く端からどんどん忘れたり、考えに書くことが追い付いて行かずに変わったりしていく。エネルギーは有限だからかける量にも限界がある。

自分の性質をどういうかについて、村上春樹の言っていたことに自分も同意するところがある。「書くことでしか考えられないし、書くことでしかいろいろなものに理解を与えられないのだ」ということ。結局書くことによって、同じ場所の堂々巡りになっている思考に道筋を与えて、きちんと道を作って行く。このような方法によってしか、自分の考えている方向を明確にすることもできなければ、自分の考えている方向も・進んでゆく方向も明確に認識できないのである。こうしながらじわりじわりと、文章によって自分の立ち位置を明確化し、自分の周りを取り囲む空気や理法を明確化したならば、漸くそこから一歩出られる・もしくは一歩踏み出せるのである。自分の指向・思考・嗜好を具現化できた成果のあるうちはそれをもとに自分の考えや方針を周囲に対して説明できる。しかしその状況に安穏としていると、自分自身はリンポともいうべき生暖かい柔らかな泥の中にじわりじわりと沈んでしまい、やがて自分すらも分からなくなってしまうであろう。

書こう、書くことによってしか考えられないし、結晶化してゆかなくては前に進まない。手は遅い、頭は早い。手は来たことのないところへと進む、頭は同じところをぐるぐる回る。両方を回さなくては泥の中に沈んでしまう。

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