日本の文化・嗜好性について考える バックグラウンド・侘寂

(2013/4/28)
日本人の香りの嗜好性について。日本人の美学は誰かの本でも読んだが、「銘物を珍重する」という性質がある。稀少な食品・商品、ものすごく古いものであったり、遠くからやってきた舶来品であったり、誰か著名な人物の持ち物だったりしたものが、銘物だった。これらを趣味よく引き立てるような味わいのそこまで強くないものと共に配するのが日本の美意識なのかもしれない(もちろんこれに当てはまらない日本の美しいものも在るが、侘寂のような日本独特の美学はこの様なものである気がする)。そこで、香りも無臭に近い空間の中で、名香を僅かに焚き、その香りを効くというスタイルが今の日本のスタイルなのではないだろうか?

この傾向は食の部分にも通じるところがある。日本の食文化は海外の食文化に比べて著しく香辛料を使用しない。使用する場合もさほど多量に使用することがない。新鮮な食材の元々の味を活かして重視する呈味は旨味などを重視する。この様な食文化はフレグランスに対する嗜好性にも影響していると思う。日本人の本質的な部分ではあくまでも穏やかな香りが好まれているように思う。強力なフレグランスを好む人も、舶来品や稀少品としてのフレグランスを好んでいるように思うのである。その意味では日本の香道文化、および近代のフレグランス文化はそこまで日本人の本質には染み付いていないのではないか?

日本の侘寂という特殊な文化は永らく鎖国状態であったからこそ醸成されたように思える。華やかで豪華でパワフルなメインストリームの美学に対して、侘寂の文化はメタステーブル(準安定的、別解的)な文化だとおもう。華やかで豪華でパワフルなメインストリームの美学を突き詰め終わったときに侘寂の文化が注目される。日本の場合はそこに茶道の家元制度が絡み、美の様式として昇華させることができた。家元制度により様式が確立したおかげで、そのメタステーブルな美はどのようにあるべきか、模範となる作品は何なのか(箱書制度、“家元お好み”など作品・芸術様式の確立化のシステムが機能した)、家元の責任のもと美学の追求ができるようになった。これは日本人の引き算の嗜好性、主役に銘物を持ってきつつ、脇役のものを低刺激、主役と調和して行けるようなものとしてデザインする、ということが主流になったのではないか、と思われる。

おそらく香りの空間演出も同様の解釈でデザインして行くことで海外の美学とは異なる美学を追求できるのではないかと思う。

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