流行30年周期説? 短周期化しているのではないか?

流行30年周期説というものがある。服・モノ・コトなどの「流行」が30年の周期を持っているという説だ。例えば’00年代には’70年代のリバイバルが受けるとか、’10年代には’80年代のファッションが再流行るのではないかという予測が立てられるというものだ。だが、現在ではそれよりも短い周期なのではないかという説が提示されている。

歌謡曲・アイドルの流行に関する番組で、今までの流行を格好良い⇔可愛らしい、男ウケ⇔女ウケという2軸の切り口で特長を分析して流行を解析した結果、スパイラルを描いているという結論を番組側は用意していた。だが自分にはそのスパイラルの周期がだんだんと短くなっているような気がしてならなかった。流行はだんだんと極端化、短周期化しているのか?

「流行が極端化、短周期化している」こう解析できると思うので、まずはその原因を推測してみることにする。
1. 情報化…データのデジタル化とインターネットによる多種多様な情報のオンライン化によって、今までの流行が高精度に閲覧できるようになった。
2. 流行の訴糾力が低下している…流行に対する憧れがなくなっている現代、減っているフォロワーを再び振り向かせるために極端に特色を演出することが必要になっている
3. 陳腐化するまでの時間が短い…情報伝達速度が高速化しているためにすぐに陳腐化してしまう。特にリバイバルは根本的に新しいものではないのですぐに新鮮さが薄れる。

だがそれは新しいものを提案できなかったことと繋がっているのではないか。新しいものを発信するということは、今までになかった新技術を実用化してその実用性を問うという面と、今までになかった意匠を実用化しその美を問うという面がある。ものが充足してしまっている現代、どちらかだけでは片手落ちなのだ。今まで(1990年代くらいまで)の大流行が、衣食住の充足化を伴うものだったからこそ、大流行の形式をとったのであって、そこに真のクリエイティブがあったことの証明にはならないと考えている。作れば売れた時代には、新技術を実用化してその実用性を問うという面と、今までになかった意匠を実用化しその美を問うという2つの課題は二の次となっていた。現在は衣食住は充足している。もはや完成してしまったユーティリティを維持、必要な部分を取替・刷新すればよいという状況になっているのだ。ここに来て大きなムーブメントを作り出すためには、今までになかった新技術を実用化してその実用性を問うという面と、今までになかった意匠を実用化しその美を問うという面の両面を満たすもののみが生き残れるという状況を呈し始めている。

何が表層的なトレンドフローなのだろう?そして何がトレンドフローの深部に潜むものなのだろう?それを俯瞰し見出したいものである。

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