上田さんの「嗅覚迷路」①

(2013/9/15)アツコバルーの上田さんの展示の「嗅覚迷路」に、オープニング初日とWS日に行ってみた。考えたことを書いてみる。

WSは純然と面白かった。WSの内容は前回、岡村のショールームでのWS内容と同じである。嗅覚で匂いの位置を知覚しよう、どれくらい匂いの塊を感じられるか、普段まったくトレーニングしない嗅覚を酷使してみよう、という内容。

参 加人数が募集人数ほど集まらなかったのは残念な事である。嗅覚アートという分野がエッジ過ぎることの証左なのではないか、とも思う。また日本国内におい て、彼女の作品製作が興味のある人にはかなり認知されているけれども、一般人を巻き込むような大きなムーブメントではないことの証左でもある。参加した人 は元々彼女のブログに関心を持っていたマーケッターやアロマテラピスト、音楽家など。その後結構濃い香りの話をすることができた。

上田さんが面白いことを言っていた。日本では香りを空間のものと認識するが、ヨーロッパでは香りをパーソナルのものだと認識するという話。

日本では香りを嗅ぐことによって風景を感じたりできるため、岡村での展示のようなコンテンツが成立するのだとか。ヨーロッパ人は香りをかいでもフレグランスとかパーソノロジーとかにすぐに結びつけてしまい、季節感やさらに発展的な空間感への連想へはつながらない様だ。空間内に匂いを薫きこめてもヨーロッパ人の多くは風景を感じないという。これは面白かった。確かに日本はお香の文化が古くからあるし、四季の変遷が結構派手で多彩な匂いが季節毎に漂う。その流れで言うと、食事においても固定されたスパイスを年中用いるのではなく、季節の折々の食材をほとんどスパイスを使わず、使ったとしても季節毎にかわるフレッシュな香草を使う流儀が発達したのではないか?

ただ逆の事もいえて、日本では基本的に香水は売れない。売れるフレグランスは、集団の中に調和できる香り。例えば石けん調の香りが日本ではもっとも売れる香水である。シャネルの社長が日本を訪問して、理由を散々リサーチした挙句、お香屋さんに入ってその理由を察知したという話もあるそうだ。日本には四季の匂い、高貴な匂い、清潔な匂い、もちろんあまり良くない匂いもある。日本人は匂いから空間・空気を察知しようとするのではないだろうか?

日本人の香りの文化における没個性性、お香文化はヨーロッパとは対称をなすものなのかもしれない。日本人は嗅覚という感覚を用いて匂いから空間・空気を察知しようとするのではないだろうか?逆にヨーロッパ人は匂いからパーソノロジー・人格・人間性を察知しようとするといえそうだ(もちろんこれはフレグランス文化であって、匂い全般という観点から言うと“狭義”だが)。これは文化成立の背景である、島国気質(民族流入の歴史が薄い)、四季性、アニミズム・多神教・神道的な世界観が、文化に置ける嗅覚の認知対象をかえているのかもしれない。

コメントを残す