直感を養う、重要な「調和」

せっかくなのでこの話も書いておこう。

人間には理性の部分と感性の部分があると思う。ここ数日間考えている事柄である。

人間には、直感的に判断して波に乗る性質も必要だし、情報収集と解析で物事の本質を捉え、さまざまな場合を想定して手を打ったり策を考えたりする性質も必要である。自分は今、「直感的に判断して、波に乗る性質」が自分に必要なのだと思っている。

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前回までに「ブログearth in us」や「魔女の宅急便」を通じて考えた事項が幾つか。
• 「善であるよりも、欠けることない自分でいなさい」シャドウを認め、あがない、手をつないで、オープンにしよう。 そうすれば、やがて影に光が指すだろう
• 「再び純粋な気持ちを取り戻したとき」、不思議な力が僕らを救ってくれるかもしれない。
この二項は実は男性の役割と女性の役割を象徴しているかもしれない。男性は神や最も愛する女に自分の罪を告白して、許してもらうのかもしれない。女性は夫を愛したり、子を愛したりして、その時、自分も予想すらしなかった強い力が自分の中から湧き上がってくるのかもしれない。(このような思考、思想は男女平等を理想とし、男女平等に向かってゆかなくてはいけない現代社会においては“間違った”考え方なのかもしれないが)

遠藤浩輝によるSF漫画作品『EDEN 〜It's an Endless World!〜』(エデン イッツアンエンドレスワールド)には主人公と父の会話の回想シーンが挿入されており、父は子に「普段は母さんに話して許してもらう。母さんに許してもらえないような悪いことをしてしまったときには…(神の存在を意識していると考えられる)」と喋っている。私たちは毎日、理想と現実のハザマを生きている。理想の自己像と現実の自己像、理想の仕事と現実の仕事、理想の世界と現実の世界、究極的には善と悪のハザマを生きている。理想と現実に引き裂かれそうになりながらも、それに耐えてゆかなくてはならない。その事実を何者かに許してもらわないといけない(そんな自分を認めてもらいたい)のである。

それに対して「誰かを心のそこから愛する」ということは、それとはまったく別の次元の話だと思う。

というのは、誰か好きな人間が居ると、その人間からも好いて欲しいと思う。自分のことを好きで居てくれる人間なら、相手の喜ぶことをしてあげたいと思う。とても自然なことだとは思う。だが現実にはすれ違いや、不調和が起こる。そのような時、自分の好きという気持ちに曇りが起こってしまう。心から何かをしてあげようという気が起きない状態になってしまう。だからこそ「再び純粋な気持ちを取り戻し」て、幸福な調和に至りたい。(そしてその時こそ不思議な力が湧き上がってくるはずだ。話の本筋からはずれるが、「魔女の宅急便」の主テーマは子供から女性への転進と、「純粋な気持ちを取り戻して」相手を助ける事である)

• シャドウを受け入れて自分の持てる力を発揮すること
• 曇っていた心に、純粋な気持ちを取り戻し、誰かを助けること
その両方ともが人間にとって重要な「調和」なのかもしれない、と考えた。

aromaphilia: 心のシャドウを認めること、純粋な気持ちを取り戻すこと
aromaphilia: 魔女の宅急便、という「おとぎ話(=昔話)」

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