自分の考えを実現するためには

何を学びたいのか?何をしたいのか?

最終的に香りを学んだ後、至る場所は何所なのか?

これまで、色々なヒトに相談に乗ってもらい、多角的な知識を教えてもらい、または本を読んできた。もちろん自分が知識を得よう、先行の研究をされた人々に会ってもらおう、としてきた努力は十二分とはいえないが、自分のやるべき事柄、香りについて今まで未開であって、自分が貢献できたら面白いな、と思う分野はどこに広がっているのか、だいぶ分かった気がする。

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それらが揃った後に、必要となる以下の3点について考えた。(半分自戒的になるが…)
• 自分の考えていることを伝える能力
• 相手の伝えようとしていることを察知する能力
• 自分の要求と相手の要求を把握した後に、それらを摺り合わせて、妥協点を見出そうという能力
これらの能力が必要であり、それらをトレーニングする必要がある。実際にこれらの能力を高度に持ち合わせている人も極稀に存在する。それらはどのように磨いてゆけばよいのだろう?結構、先天性?…もしくは親の素養・指向性に拠るような気もする。

自分の考えていることを、一つの相手に見える形に落とし込む、これは難度の高い課題である。特に自分のように気が散りやすい割りに、一つ一つの事象に興味を奪われるとそれに没頭してしまう人間には特にそうである。最近になってようやくそれが出来るようになってきた気がする。文章を書いてゆく。没頭して書いても、ふと遠くから全体を俯瞰して、つなぎ合わせてみれば自分の立場も自分の主張すべき意見も見える…新しい境地が見えかけているのかもしれない。

相手の感情の動きを細かく察知して、その裏にある思想やら意図やらを汲み取る、これにはトレーニングが必要である。相手の感情の機微を読むというのは鋭い感覚が必要であろう。あらゆる可能性を排除せずに検証し、相手の考えに合わせ込む事ができる思考速度の速さと特定の考えに固執しない思考自由度の高さが必要だろう。

しかし、真の問題は自分が動き続けられるかと言うこと。人間は
• 体力
• 経済力
がまず重要。それにも増して重要なのが
• 知性 = 理解力(帰納的推測力+演繹的推測力) + 知識
• 感性(直観力、美的感性、理論的感性)
それらを発揮させるために必要なのが、意志力。こつこつやる上でも、勢い良くやる上でも意思が弱ければ為すことが出来ない。もちろん意志の強さは心理的エネルギーと肉体的エネルギーによって裏打ちされるとは思う。エネルギーの欠けた状態では「意志」は、その心身を更に不健康へと追い込んでしまうだけである。

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いろいろなことが停滞しているように思える。サボりがちな自分を見つけたら、吐き気を抑えても動かなくてはいけない。動き続けないと勝てない。しばらくは自分の中心に意志力を据えて。

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