動く、動かす、積み上げる、そして統合する

(今回は私的なことを話す②)福岡の実家には自分の本や書類がたくさん残してある。正月を利用してこれらを少し片付けてきた。

自分の本や書類は本来ならば自分の近くに保管しておいて必要なときに見返したり出来るようにしておかなくてはいけないと思う。必要が無くなったとき、移動するときに自分が書いてきたものや、選んで集めてきたものを一斉に処分してしまう人がいるが、自分はその感覚がちょっと分からない。確かに数年間それを読み返すことは無いのだろうが、自分にはそれらは捨てられない。しかしそんなものに縛られて自分が新しい場所に飛び込んでいく際の足枷になってしまっていてはいけないとも思う。もちろん立つ鳥跡を濁す、というのもまずいのだが。

2007年の春に大学から関西の会社に移動したときには、福岡の小笹の実家から会社の寮に移動をした。そのときには実家にだいぶ荷物を置いたまま、寮には最小限度の荷物だけを持って移動した。本もCDもほとんど置いたまま移動した。「鞄一つだけ」という感覚を持って寮に入った。2009年の夏に寮から京都の家に移ったときには、全ての荷物を搬入できる計算だった。

2010年の春に京都から川崎に移動するときには再び荷物を減らした。シンプルな洋服だけと関連する本とベットとオーディオとパソコン。ベットが増えただけで寮に入ったときと基本的には同じだった。他は福岡に送ってしまった。いくつもあった服も本も保存はするが2年は広げないで専念しようとした。自分が貯めてきたものであるという感覚もあったので捨てられなかった、荷物は出来るだけ整理をしながら詰めた(その後、何回か資料を探す羽目に何回かなったが無事発見できた)。

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この3回の移動は二つの感覚を伴っていた。
• 新しい場所へ全てを捨てて最小限の荷物だけで動けるのだという感覚
• 自分の積み上げてきたものは最終的にはひとつに統合され、自分を作り上げ続けるのだという感覚
自分は鞄一つで飛び込んでいくが、最終的には自分で結果を一つに統合して行く。必要であれば、全ての荷物を整理して、運び出しを自分で手配して、必要であれば貨物車を自分で動かすことさえも厭わずに動き続ける。

しばらく両親には迷惑を掛け続けることになってしまうのだが、当面は後ろを振り返らずに、そして身軽にしておきたいのである。今までのものは時折整理しよう、そして機に際して動ける実力と気力を蓄えたい。

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